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2021年3月14日日曜日

撮影は厳し、されど楽し

撮影クルーの日々



私がアメリカで映像関係の仕事をしていたのは遠い昔ですが、今もいろんな事が記憶に焼き付いています。

右も左も分からないニューヨークの片隅で、小さな撮影会社に飛び込み、一から撮影現場で実地訓練のような毎日でした。スタッフのアメリカ人からみると映像のこともシロウトで、言葉も十分伝わらないアジア人がひとり加わって面倒だなって思われていたことでしょう。

それでも私はなんとかこの職場にかじりついて、いっぱしの仕事人になってやるという思いだけは空回りしていました。専門用語が飛び交うスタッフミーティングなど何を言ってるのかさっぱりわからないままでしたし、ただ見よう見まねで仕事の流れを追いかけていました。

先輩のあとをくるくる追い回して、少しでも役に立てるよう撮影周りのイロハを自分で覚えていくのです。中には親切に指導してくれる人もいましたが、基本、仕事は自分が体動かして覚えるしかありませんでした。一番気まずいのは、みんなそれぞれ忙しく働いている間、なんにもできることがなく、「せっせと備品の整理をしているフリ」をしている時間が多かった時です。とにかく何かやらねばと思いながら、自分がまったく役に立てないのは悔しい限りでした。

始め、私の仕事は設営部隊と言われるものでした。どこそこで何かの取材や撮影をやれと依頼が来れば、撮影班に先駆けて機材を現場に運んで、ディレクターの指示のもと、撮影準備をするのです。とにかく手際よく録画録音機材をそれぞれ計画に乗っ取って配備していきます。三脚の位置確保からマイクスタンド、ケーブルの配線、照明の用意、そして試し撮りや音声チェックなど撮影部隊が来る前にできるだけのことをやっておくのです。

同業者に交じって撮影する場合は場所取りなどでピリピリしまくりです。しかしそこは大胆に厚かましいぐらいの態度で陣地を確保したりしないとやっていけない世界です。しかしうちの会社の下っ端組はしばしば失敗をやらかしました。

カメラから舞台までの距離を間違えていたり、持ってくるはずだったマイクロホンや照明機材が違っていたり不足していたりと、ちょっちゅう叱られていた記憶があります。

私より3か月先輩の若手でカメラマン志望のテッド君はいちいち理屈っぽく言い訳して、スタッフに抵抗していました。「僕はカメラの撮影をするために入社したのに何で下働きばなんだ」としょっちゅう愚痴をこぼします。

彼の気持ちも分かりますが、せめて半年や一年は現場のすべてを経験しておかないとモノにならないな、と私は思いました。幸い私はその当時なにになりたいとかいう具体的な野心はなかったのでプライドのプの字もなく、ただひたすら現場を学ぶ日々でした。

三脚の上に乗せた巨大なベータカムのビデオカメラを乗せて準備し、ちゃんと映るか確認する。そこまでが自分の役目で、それを手に仕事をしたいなどとはつゆほども思っていませんでした。

あるとき学術会議とかいうお堅い撮影の仕事が来て、1カメ、2カメ、3カメと用意していたのですが、メインのカメラマンが別の仕事で来られなくなり、自分がいきなりメインカメラの撮影を任されたたことがあります。すごくテンパって録音ボタンの推し方さえわからなくなりそうでした。ヘッドホンをかけてディレクターの指示でカメラをズームしたりパンしたりするのですが、テンポが贈れ、何度も注意されました。

録画したテープは撮影済み次第、クライアント側の渡し、向こうで編集するという段取りでしたから、失敗は許されないのです。まさに一発勝負。こうした大変な日々を駆け抜けて、やがて自分も進むべき道が見えてくるのです。

カメラマンという仕事はとても魅力的でやりがいのある仕事だと思いました。でも実際その重圧たるや大変なものです。本当に撮影が死ぬほど好きじゃないとやっていけないでしょう。当然相手のいる仕事ですから、不本意な撮影もしなきゃいけない。撮る方の事情もわからず理不尽な要求をするクライアントもたくさんいます。会社からは次から次へと仕事の依頼が入り、まるで機械の一部のように働き詰めのこともあります。

本当にタフな仕事で、自分にはつとまらないなと思いました。録音班に加わっていた時期もありましたが、こちらも大変でした。

中でも一番きつかったのは、何かの企画で、全米の食品工場やレストランを探訪するという撮影ツアーの同行でした。そのとき私は録音担当で、カメラマンにくっついて、重たい録音機材を担いで走り回る役目でした。

取材班が番組レポーターに張り付いて、ゆく先々でカメラを回すのですが、シナリオがあってないような企画だったので、行ったり来たり、撮り直ししたりと、レポーターの気まぐれに終始振り回されました。撮影予定はどんどん伸び、早朝日の出前からスタンバって結局昼前まで待たされるなんてこともザラでした。

そのくせレポーターやディレクターはクライアントと一緒に夜の飲食だけはたっぷり時間をかけるので、私ら下っ端はレストランの外で、待つしかありません。

私は録音機と長い竿の付いたマイクロフォンや収音機を担いでいたので、うっかり高級レストランなどには入れなかったのです。

そんなこんなで撮影は地獄のような日々だと刷り込まれました。撮影自体はやりがいのあるいい仕事です。しかし仕事はカメラ相手ばかりじゃないのです。人と人とのコミュニケーションが大切で、そこをこなしつつも、自分の持つ撮影の腕を発揮しなければいけない。

本当にカメラマンさんは大変だと思います。尊敬に値します。

しかし、だからこそ私自身は撮影というのは仕事にしない方が楽しいと思ったのです。楽をしたいと言えばそうなのかもしれません。でもそれ以上に、ビデオや写真は切羽詰まったものではなく、ゆとりをもって楽しくやるのが一番自分に合っていると思ったのです。

「撮影は厳し、されど楽し」です。

カメラは板前さんで言えば包丁のようなもの。肌身離せない命の道具ですから、大切に抱えながら、本当に撮りたいものを探し求めて日常のなかで放浪するのが一番。そんなものだと私は感じつつ、いまカメラを趣味にしているのです。


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