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2021年3月16日火曜日

日本人の英会話力

日本人はなぜ英語が上手くならないのか  



 2019年の調査では、日本は世界の英語力で53位に落ち込み、英語習熟度の低さはますます明らかになってきました。これは由々しきことです。もう何度も英語教育の重要性が叫ばれ、学校現場での改革の必要性が指摘されているにもかかわらず、この十年、なんの成果も挙げられていないのです。

 政府は、学校での英語教育カリキュラムを常に見直していると主張しますが、それにもかかわらず、アジア諸国や先進国の中でも最下位に位置している、この現実を重く受け止めるべきです。


 すでに多くのアメリカ人の中で、「日本人は英会話ダメ」というインプレッションが定着しており、これはアジア人の中でもかなり下位と見られています。これはあくまでも長年アメリカに住む私の見立てですが、中国や韓国はじめその他アジア出身の人は、英語圏に入る前は、日本人より英語の知識(情報)が薄いにもかかかわらず、ひとたび英語圏で生活を始めると、急速に英会話能力を伸ばす印象があります。余計な先入観がないぶんだけ、純粋に英語を吸収しやすいのではないでしょうか。逆に日本人は偏った英語に対する先入観からなかなか抜けきれず、習熟に時間がかかる傾向があると思えるのです。


 欧米の人は、経済的に裕福な日本人が、英会話だけが、発展途上なのを怪訝に思っています。日本の都会には、欧米人が辟易するほど英語の広告、看板、その他の表示で溢れています。中には変な英語表現をでかでかと掲げているところもありますが、外国人にはとてもインターナショナルな国民性を感じさせます。それにもかかわらず、いざ日本人と面と向かうと、ほとんどの人が逃げてしまうのです。今やこのギャップがそのまま日本人に対する認識となっているのが現状です。


 日本に関心のある欧米人なら、日本人が英語会話にたいして並々ならぬ意欲のあることは認識しています。英会話塾は乱立し、ネットでも英語学習のツールに溢れています。eコマースサイトの楽天やアマゾンのライバルである日本の大手企業は、社員の役割に英語が必要かどうかに関わらず、英語力を非常に重視しています。テレビでは毎日のように英会話番組が放送され、日系アメリカ人の子供たちが英語で話す動画を投稿したアカウントには、数万人のインスタグラムのフォロワーがいます。


 今日、日本人は、日本語と文化の重要性を信じる気持ちと、英語が経済的な特権や地位をもたらすグローバル化された世界で生きていく必要性とのはざまで揺れ動いています。人口の減少と将来的には避けられない外国人労働者の流入は、誇り高い国民性、英語学習に対する構造的・文化的な障害、そして経済的な独立性とぶつかり合っているのです。


 長年にわたり、多国籍企業は企業の共通言語として英語を義務づけてきました。東アジアの教育現場では、多くの親や専門家、学生自身が、市場で最高の仕事に就くためには英語が必須条件だと教えてきました。その真摯さは日本を遥かにしのいでいます。


 明治時代以降の日本は、技術的に西洋に追いつこうとする執拗な競争の中で、英語は日本のエリートの道具となりました。当時英語圏に留学してきた者はすでに特権階級視され、世界進出を目指す企業からも期待のホープとみなされてきたのです。


 日本は決して欧米の植民地ではありませんでしたが、第二次世界大戦後のアメリカの占領は7年間続き、米軍が日本全体に政治的・経済的な変化をもたらすには十分な期間でした。冷戦下の日本は、ソ連の脅威からの保護という名目でアメリカの「核の傘」の下に置かれ、「アメリカの保護を受けた国」として象徴的なイメージを持ち始めました。

 私はこのときこそが、国民が英語を学ぶ上で、大きな分岐点だったのではと考えています。当時の米兵の存在は、日本人に英語に触れる機会を与えていました。アメリカは自由と民主主義の象徴として、当時の日本で理想化されていたのですが、それはアメリカの占領が成功した結果でもあります。英語は自由、権力、地位を連想させるようになり、多くの若者がアメリカの文化に憧れを抱いたのです。このときもっと積極的に英語文化を流入させていれば、英語を自然に話す日本人は遥かに増えていたはずです。台湾や韓国に一定数日本語を話せる人がいた時代を考えれば、無理な話ではなかったと思うのです。


 20世紀に入ると、日本語の中に英単語が混ざるようになり、英語の看板、スローガン、広告などが全国に広がっていきました。英語の持つ先進性がインテリジェントなイメージとして崇拝され、威厳(もしくはある種の権威)を持つようになりました。英語は日本の文化の中で、紛れもなくポジティブな関係を築いていったのです。そうやって話すための英語は、一般の人々にとって魅力的である、という概念が浸透していったのです。特にメディアでの英会話のイメージは、明るく、楽しく、親しみやすく、アメリカへのあこがれを伴っていました。


 しかし、このような成長にもかかわらず、研究によると、日本人の30%未満が英語を全く話せないと推定されています。英語を流暢に話せる人は8%以下、場合によっては2%以下と言われています。それに比べて、ドイツでは人口の約60%が英語を話し、16%の人が英語が堪能だと言っている。熱意と習熟度のギャップには様々な説明が考えらそうですね。


 もちろんドイツ語と英語は密接に関連しているのに対し、日本語と英語は語彙、書き方、文型が根本的に異なっていることもあり、平等に較べることはできません。それでも日本人が思うより、ドイツ人も英語をマスターするのは簡単でないと聞きます。

 英語家庭教師ネットワークの日本人講師は、教えるレベルに到達するために4,000時間から5,000時間というとんでもない勉強時間を費やしたと言います。おそらく諸外国の同業者はその十分の一も必要としなかったでしょう。


 ある日本の英語教育者は、偏った英語の授業が大学入試に厳しく対応していることが、生徒の習熟度低下の大きな原因であると指摘しています。受験重視の授業は、文法を重視しすぎて、暗記中心の退屈な授業になっていると指摘しているのです。


 日本の文部省は、教室をよりインタラクティブなものにするための取り組みを紹介していますが、教師はその取り組みをどのように実行したらいいのか、まだ分かっていません。日本の生徒たちは文法や語彙には長けていますが、間違いを恐れすぎて、コミュニケーションに消極的。これは問題です。ここは早急に教育プランを改善する余地があると思います。


 日本の文化がリスクを冒すことを嫌うため、多くの生徒が自分の限界に挑戦したがらないこと、特に言語学習には欠かせないスピーキングの消極性については、多くの研究がそう証明しています。


 日本人にとっては耳の痛い話ですが、これらの言説は、ちょっと前までは国際関連の有識者や英語教育関係者だけの認識でした。しかし昨今は多くの一般的なアメリカ人も、日本人の非社交性について認識し始めています。もちろん、ちゃんとアメリカの社会に溶け込んで、英語を自在に操る日本人も多くいますが、それ以上にアメリカ社会に馴染めない「日本人」というものの存在が可視化しています。

 今後英語習熟には、日本人独特の精神性も考慮に入れた考察が期待されているところです。

 やはり真の国際人を育てたいのであれば、まずは日本の教育システムの抜本的な改革が必要でしょうね。そしてその先に、小手先だけの「英語文化つまみ食い」から「包括的な国際感覚の受容」を標榜する日本へと成長していってほしい、そう願うものであります。




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