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2020年5月30日土曜日

アメリカン・サバイバル練習帳

生き抜こう、このアメリカの片隅で



 世の中、いまほど先行き不透明な時代はなかったのではないでしょうか。
 ここアメリカでも失業者続出で、今後どうやって暮らしていけばいいのか、不安を抱えている方も多くいらっしゃると存じます。ほかならぬ私も、運転業務のほうが完全に停止状態で、今の所、再開の目処は立っていません。失業申請してようやく手当を受給でき始めたばかりですが、これとていつまでも保つやも知れません。
 そこで今回、「アメリカン・サバイバル練習帳」なるものを公開いたします。
 これはアメリカで過去2回(あ、いま三回目ですね)、長期的失業を体験したワタクシの実録記をまとめたものになります。 
 念を押しますが、これはあくまでアメリカに住む者が日々を生き残るための、ごく私的体験談です。日本はもとより、アメリカ在住の方でも、あくまでヒントとしてご活用ください。同じことをしてうまく行かなかった場合でも、責任は負えませんので、予めご了承いただきますようお願いいたします。




では題して、
「アメリカン・サバイバル練習帳」

 練習その1:さりげなくSOSを送る
 アメリカで生きることに窮したら、まず孤立感から抜け出すことが肝心です。
 職を失ったり、大切な人との別離で、新しい道の模索を余儀なくされたら、はじめにやることは心の整理。でもそれすらままならない時があります。
 そんなときは、まず周りにSOSのサインを送りましょう。
「私、仕事を失いました」
「私、伴侶を失ってこれからどうしていいかわからない」
「私、借金負いすぎて、もう生きていけない」

 こういうことを周りに発信するのをためらう人も多いでしょう。でも、もうお尻に火のついた状態だったら、世間体など気にしている暇はありません。
 緊急事態です。困っています。それをあまり声高に叫ぶのではなく、できるだけ冷静に伝えるのです。(パニクってるのを見られると、事が大げさになりがちなのでご注意を)
 アメリカ人というのは、総じて世話好きの方が多いです。  見知らぬ他人にも知り合いのように手を差し伸べてくる人がいます。私の隣近所でも、「余ったからあげる」とうちの玄関先にリンゴや玉ねぎの詰まった紙袋をさりげなく置いていくおばさんがいます。冬には雪かきオジさんが現れて、頼みもしないのに、雪かき機で玄関口の除雪をしてくれます。
 私が失業したことを知人にちょっと漏らしただけで、何人かが「だいじょうぶか」とメールをくれました。なんとかしてやろうという気持ちがひしひし伝わってきました。そのうちの一人は膨大な募集要項を集めたリストを送ってくれてびっくりしました。
 平常心で周りに助けを求めることは、なにか展開が開ける可能性があるということです。

 練習その2:売れるものはみんな売ろう
 ここアメリカはリサイクル意識の高い国。生活に困ったら、職探しと同時進行で、家にある不用品、緊急性のないものはこのさい、どんどん処分して身軽になりましょう。
 たとえば本。人はなぜか読んだ本、未読の本を後生大事に部屋にしまってしまいます。重たいし場所取るだけです。いざ引っ越しのときも、すごく重荷になるだけ。ほとんどの人、一度読んだ本は九割がた再読しません。一年以上未読の本は一生読まない確率高しです。生活に困窮しているならまず本を処分しましょう。あまり古い本、黄ばんだ本は古本屋でも値段がつかないので、潔くリサイクルしましょう。アメリカで和書は役に立たないので即処分。わたしは洋書で役立ちそうなものは隣町の大きな老人ホームにドネーションしました。三十冊ほどでしたが喜ばれましたよ。
 あとこれはお役立ち情報。本は新しいものなら古書店に売れば良い。
 私は日本で言う百均みたいなところ(要するにダラーストア)で1ドルの本を買って古本屋に売却していました。ダラーストアの本は新品なので定価20ドル程度のものは5ドル前後で取引できました。ダラーストアを何軒も回り、売れそうな本をバンバン売るだけで、とりあえずその日の食費はまかなえるほどでした。
 本の次にお金になるのが衣類です。
 服も考えたら死活に関わるほどのものでは有りません。とりあえず必要最低限なものだけ仕分けしました。スーツ1着、白シャツ3着、ほかジャケット、Tシャツ、ポロシャツなど日々必要なものだけ確保し、2回に分けて売れそうなもの計40着あまりを古着屋に持っていきました。
 状態のいいものを選んだので、ほとんどすべて買い取ってくれました。このときの売上は120ドルあまり。すごく儲けた気分になったものです。残りの売れそうにない古いシャツやズボンは全部リサイクルセンターにドネーションしました。春先だったので冬服は八割以上処分。靴は何軒か売りに回りましたが、新品以外まったく買い取ってくれませんでした。
 その他のものは週末、家の前に陳列してヤードセールを行いました。本棚、食器類、DVD、CD、ランプ、扇風機、ドライヤー、スキャナー・プリンター、額縁、ブランケット、スニーカー、ギター、グローブ、体重計、釣り竿、バッグなどなど片っ端から処分しました。叩き値で売るのでほとんどお金にならないのですが、壊れてさえいなければ処分できます。愛想よく粘って売りましょう。私の場合、一番高値で売れたのは、人から譲り受けた、ほとんど未使用のゴルフセットでした。何が売れるかわからないので、出し惜しみは禁物です。売れ残ったものは潔くリサイクルショップに持っていきましょう。
 色んなものを処分して一番良かったことは、部屋がひろくなってきれいに整理できたこと。これは新しい発見でした。心機一転、やり直すぞって気分になります。

 練習その3:サブスク、定期購読等の解除
 月々支払いが発生する娯楽系の雑誌購読やサービス系のサブスクリプションを見直しましょう。優先順位をつけて、下位のものから順次解約していくのです。仕事もない今、あなたにその娯楽必要ですか? 家系切迫のさなか、最低限必要なものに絞るべきです。
 私の場合、音楽サービス、ネット視聴、雑誌定額読み放題をまず最初に涙をのんで解約しました。次に長年定期購読してきた「Natnional Geographic」年間契約がちょうど切れる頃だったので止めてしまいました。さらに一ヶ月後、迷いに迷ってケーブルTVも解約しました。これは月額百ドル以上家計を圧迫していたのでいたしかた有りません。残ったのはスマホとインターネットのみ。このようにして、まさに身を削る思いで不要不急の出費をカットしていく英断が必要です。

 練習その4:塵も積もれば山となる
 職探し中でも怠ってはならないのが、小さな仕事をみつけること。
 私の場合、失業中生活資金源にできたのは主に3つ。
 一つは、空き缶、ボトル集め。アメリカの場合、プラスチック・ボトル1本あたり5セントなので、百本集めても5ドルにしかならないので、効率的に集める必要があります。  これはいつもボトル集めしている、隣町の半ホームレスオジさんから学んだことですが、リサイクル回収日の早朝が狙い目です。オンボロのミニバンで寝泊まりするそのオジさんは毎週早朝、各家庭の外にだされたボトルを、回収業者が来る前に集めまわります。朝のごく短期間でミニバンいっぱい、少なくとも推計1500から2000本を集めて回っていました。私はそれを真似てかれのテリトリー以外の地域である時期ボトル回収作業をしていました。一日多いときで450本は集まるのですがたったの20ドルちょい。スキルアップしない限りそれ以上は無理だと悟り、二ヶ月で断念しました。
 次に挑んだのが、庭掃除のバイト。おりしも落葉のシーズンだったので、需要は尻上がりでした。アメリカの家は庭がとにかくだだっ広いのが多い。お年寄りともなると庭掃除も大変なので業者に頼むことも普通です。そこに目をつけて、一軒一軒庭の汚い家を訪ねて、「枯れ葉のお掃除バイトしています」と売り込みました。そう多くはありませんでしたが、きちんと仕事だけはするので、喜ばれてリピーターも獲得できました。困ったのは冬場で、雪かきの依頼を受けてしまったのですが、これは重労働で腰を痛めてしまいました。掃除は軽い枯れ葉だけにしましょう。
 三つ目はデリカテッセンとフラワーショップのデリバリー。
 こちらは、普段私が客で、店員らと懇意にしていたおかげで得られた臨時雇です。週に4日程度の配達でチップが命でしたが、ふだん通っていて良かったと思いました。
  

 練習その5:人脈こそ命
 まず人からお金を借りるのは本当に切羽詰まった、最後の手段にとっておきましょう。
 たとえそれが肉親でも親友でも、借りると禍根の種になります。関係性も崩れてしまいます。もらうのはオーケーですが、借金だけは少額でもしないほうが賢明。これは私が自分に課したサバイバル・ルールです。できるところまでは自力で頑張るのです。
 でも勘違いしないで。あなたはひとりじゃない。
 練習その1にも繋がることですが、これまで生きてきた中での、人との関わりがあるでしょう。それはあなたが窮地に陥ったとき、思わぬ救いの手になるかも知れないのです。日頃から知人、友達は大切に。そういうのはあとから効いてくるものなのです。
 私の場合、渡米して以来ずっと懇意にしてきた米国の友人が何人かいました。そのうちの一人が私の失業を心配して、ある会社に推薦状を書いてくれたのです。それまで何十通も履歴書を書き、送っても送ってもナシのツブテだったので、いきなり面接に呼ばれたときは本当にうれしかったものです。その時は、私の力及ばずで不採用でしたが、一緒になって悔しがってくれた友人には涙か出るほど感謝しました。
 また別の友人は知り合いを介して、短期間のパートタイムの仕事を紹介してくれました。経験もない露天商の手伝いだったので、まったく気乗りしませんでした。でも後にその仕事場で出会った人つながりでデザインの仕事先にありつけたのですから、縁は異なものとしか言いようがありません。人生、何が幸をもたらしてくれるかわからないもの。とにかく人とのつながりは大切にしておきましょう。

 以上がアメリカで失業したとき、私の学んだ「サバイバル練習帳」まとめです。

 まとめ
 あの頃はとにかく死にものぐるいでした。自分が悪くもないのに、会社の都合で突然解雇されて、翌日から無職。恐ろしいことです。
 州内のお役所で失業保険申請をすると、手続きがうまく行けば、翌週ないし翌々週から失業手当の受給は始まります。ほっとしますけど、それは一時的なもの。期間内に仕事を見つけなければすぐ打ち切られてしまうのです。そのうち政府のUnemployment Departmentから呼び出しがきて、再就職のためのレクチャーを受けることが義務付けられます。  各種、民間の就職斡旋も紹介されるのですが、なかなか自分にあったものを見つけることはできないと覚悟しましょう。
 私の場合、グラフィック・デザインの職歴があったのですが、それに合致するものは皆無。その後、指導された通りに何十通も可能性のある募集先に履歴書を送ったのですが、ひとつもヒットしませんでした。そんな空振りが数ヶ月続いたあと、いくつかのバイトをこなし、ようやく関連会社の広告デザインの職にありつくことができました。そこからさらに紆余曲折を経て、現職にたどり着くわけですが、それは並大抵のことでは有りませんでした。
 その間、家族にも迷惑をかけましたし、多くの人の支援をいただきました。申し訳ない気持ち、感謝の気持でいっぱいです。

 生きることはすばらしい。でもときにそれは大変な困難を伴うこともあります。
 無駄な時間を過ごさず、今できることをコツコツ進めていってください。
 これが私から言える、たったひとつのアドバイスです。ありがとうございました。

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