2020年8月28日金曜日

副業を選ぶか、正業にこだわるか

 仕事をどう選ぶか

 これはあくまでもアメリカで暮らす、私の職業選択の事例です。

 今、沢山の人が仕事にあぶれ困っている中、この先どういう道を選ぶべきか、参考になれば幸いです。

 いままでもそうだったのですが、私は多くの時間を副業とともに過ごしてきました。日本の多くの企業が副業禁止ですが、アメリカは自由を旨とする国。かなり広範囲の分野で副業は認められています。

 私は今現在、リムジンの運転を6割、グラフィック・デザインの仕事を3割、あと一割が知人の花屋さんの配達業務などを手伝っています。車の運転が好きで、アートが好きな私には、低所得であること以外はさほど不満のない環境です。できるかぎり自由な時間が欲しい自分にとっては、理想に近いとも言えます。しかしコロナの問題が起きて、それまで6割を占めてきた運転の仕事が3割程度に下落しました。加えて広告デザインの仕事も、ぱったり途絶えてしまったのです。

 これが4月の中旬に始まり、8月に入ってやや持ち直しの兆しは見えてきたものの、このペースでは冬を越すことさえ難しい状況です。

 幸い、公立学校に勤務する家内の仕事は安定しており、夏休み中も給料が出ていたのですが、学校側の人員削減の噂はずっとついて回っています。

 この先行き不安な状況を打破すべく、私は6月から7月にかけて求職サイトindeed、UpWork、linkdInなどに登録してみました。いずれも希望職種はグラフィック・デザインとしました。まあこんな時代でも少しはデザインの仕事もあるだろうと、楽観していたのですが、それは見事に裏切られました。待てど暮らせど希望の就職先は見つからず、こちらから積極的に数件の募集先にレジメを送っても返事すらもらえません。

 嘘でしょ、そう思いました。十数年前、同じような就職活動をしたときは、贅沢を言わなければそこそこの仕事が複数選べる状況でした。広告業界が調子の良かった頃で、即戦力になると見れば、中途採用も積極的に取り入れる風潮だたのです。

 でも今回は違いました。私の見通しは大甘だったのです。8月に入ってレジメを書き直し、希望要件を浅く広くしました。はじめ時給換算希望額25ドルだったのを一気に15ドルに下げ、短時間のパートタイムも可としました。それでも芳しい結果は得られません。マンハッタンで数件アート・デザイナーを募集していたのですが、あっという間に締め切られました。いわゆる有効求人倍率が何倍にも跳ね上がっている印象です。

 オンラインで登録した求人サイトも、いくつか希望に近い仕事を見つけてくれたのですが、いざレジメを出しても、面接にすら届きません。6月から8月までに私が提出したレジメは14件。全滅です。仮にも10数年グラフィック・デザインの職歴があるのに、どこにも引っかからないのです。

 焦りました。切羽詰まってフリーランスになってから唯一お付き合いのあったクライアントに泣きついて、ようやく週に一日半程度のデータ管理の仕事をもらいました。私の得意分野とはかすりもしない業種です。

 しかしこれだけではとても食っていけないので、いま流行りのUber Eatsも視野に入れています。レストランは生き残りをかけて、デリバリー・サービスを急拡大中なのです。運転に自信がある方ならチャレンジの価値はあります。

 私の会社は、最近ようやくリムジンのお客さんがぽつぽつ戻ってきたので、ちょっと様子見となりそうです。しかし仕事のバックアップの確保は絶対あったほうがいいでしょう。これまでも浮沈の多い、フリーな仕事をしてきたので準備は怠りません。

 先月、むかし同じ広告印刷会社に勤務していた私の元同僚も、私に仕事はないかと問い合わせてきました。困っているのは私だけではないと、変なふうに安堵してしまいました。そのさい彼から、公務員の求職がいいという話をききました。コロナの影響で事務職の仕事量が激増中で、猫の手も借りたいそうです。今なら各地方役所で臨時職員を募集しているはずだから、問い合わせてみればと言うのです。

 お役所仕事はあまり気乗りがしませんでしたが、背に腹は変えられません。ネットで近くの町のローカルな求人広告を探しているとありました。「急募、刑務所勤務」「急募、厩舎にて積み荷の運搬作業」「秋から募集予定、湿地帯の水質検査要員」確かに仕事はありました。

 が、しかしとうてい私に務まるような業種ではありません。頭クラックラしました。先日、元同僚に文句を言ったら、彼はちゃっかり病院のウェブデザインの仕事を確保したと自慢気に言っておりました。それ私にも分けてくれ、と言いたい気分でしたね。

 そんなわけで、いまアメリカでやりたい仕事は、簡単に見つかる状態ではありません。求人サイトもあまり期待しないほうがいいでしょう。

 わたしの結論から申し上げると、今は仕事を選べない時期。ウィズ・コロナの時代を見越して、むしろコロナで人手不足になっている医療関係が穴場かと存じます。まだまだこれから医療関係は人手不足で忙しくなるであろう。これはCVSの薬局に務める薬剤師の人が言っていたことですから間違いありません。いまから医療関係の仕事を探しても遅くはないでしょう。資格のある人、やれる人はこの分野をオススメします。

 私はもう少し粘り強く運転業務とデザイン業にこだわります。どうしても駄目だったら、医療関連。大きな病院には様々な業種がついてまわります。それこそ救急搬送の運転要員だってなくはないのです。そのことは頭に入れて就職活動を続けていきたいと思います。少なくとも日本よりアメリカのほうが転職・副業のチャンスは多いのは事実。ともにがんばって明るい未来を目指しましょう!

室内フィットネス機器 3種

体を鍛えよう

 


 夏の間、運動不足で困りませんでしたか? 
今年の夏は熱中症にコロナのダブルパンチでした。ジムは閉鎖、猛暑で外は歩くのも危険。
私も日課の朝散歩を何度も断念した、悔しい夏が終わろうとしています。
おかげで運動不足は体中、顕著に現れています。肩はコリコリで、中高年特有の出腹体型はますます強調され、足はむくむようになり、しびれも感じます。腰がズシンと重く感じ、ちょっとした労働で疲労が夜に蓄積されてぐったりしがちなのです。
 これはもう典型的な運動不足と栄養不足の結果です。このままでは体力はガタ落ち、贅肉ブヨブヨの無気力人間に堕してしまいそうです。
 なんとかしなければ。せめて気候の良くなる秋頃、颯爽と外をジョギングできる程度にまで体力を回復させたいのです。
 
 そこで思いついたのが、以前息子が筋力強化に使っていたフィットネスマシン、
Gazelle Freestyleを借りるということです。



 以前は狭い子供部屋にあったのですが、今は庭の片隅に休眠状態。少し錆びついていましたが、まだまだ健在です。以前息子はランニング・マシンを使用していたのですが、膝を壊したときにこのGazelleの存在を知り、 乗り替えました。この機は膝に負担をかけることなく、腰回りや足の筋力を鍛え上げるのに最適の筋トレマシンです。膝を伸ばしたまま、足を前後にスウィングすることで、リズミカルな勢いが付き、体幹機能を高めることにも役立ちます。ジョギングしたいがちょっと苦手、そんな人にも簡単に扱えます。もちろ有酸素運動としても効果的で、まだまだ残暑きびしい中、室内でできる体力アップに最適のマシンとしておすすめです。
 
 これに対し、私の義兄が選んだのは、LifePro Turbo 3Dです。



私同様、持病の腰痛を抱えているので、過度なエキソサイズは避けたい身。そんな人に絶好の運動マシンがコレです。
 アメリカではGazelle同様、インフォマーシャルで強力なイチオシ・キャンペーンをしていました。自ら動かずして運動できる、究極のダイエット・マシンとして、かなりのベストセラーとなりました。
 こちらは強力なヴァイブレーションによる、筋力の強化、贅肉の除去が可能と謳われています。運動に自身がない人でも、この機の上に立っているだけで、腹筋運動200回分の効果があると言われています。試しに私も義兄が購入したばかりのLifePro Turbo 3Dを借りて体験してみました。おもったより強力なモーターを使っているのか、かなり強力な振動が体全体に伝わってきます。緩んだおしりの筋肉がぶるぶる揺れて、腰骨までしゃきっとしてきます。説明書にはこれを用いた様々な運動法が解説されていますが、ただ立っているだけでも十分効果はありそうだと感じました。お年寄りや体力のない人、何をやっても長続きしない人には、格好のエキソサイズ・マシンではないでしょうか?
 
 3つ目のオススメは、超シンプルです。
Back Stretching DeviceあるいはBack Massagerと呼ばれるもので、文字通り、背中ストレッチとツボ・マッサージを同時に行えるスグレものです。



 機構は至って簡単で、この器具の上に仰向けに寝転ぶだけ。しかしボツボツがついた表面が適度に背中のツボを刺激し、同時に背骨がぐいぐいと伸びる爽快感がたまりません。猫背や姿勢の矯正にも効果があるとされ、ストレッチされた体はシャキッとなって即効性を体感することができます。ソリ具合は4段階に調整することができ、体に合わせて無理なくストレッチができます。私はこれに足裏刺激マットと併用して肩こりや腰痛疲労の解消に役立てています。



 上記いずれも本格的な運動ができない環境や体調の人にも、それぞれに見合った運動ができるのが特徴。かつ室内の僅かなスペースでも毎日続けられるので、挫折しにくい点が重要なポイントかと思われます。
 運動の秋に向けて、あなたにふさわしい運動、フィットネス環境を作ってみてはいかがでしょうか。

2020年8月27日木曜日

素人カメラ好きが思うこと

 いいデジカメを手にしたい

 キャノンのPowershot G3Xを購入して、いろいろ試し撮りの最中です。2015年に発売された旧型機ですが、その後Mark IIとかも出ることなく、ひっそりと製造が停止されました。

 このカメラ、キャノンのパワーショット・シリーズの中でも1インチ・センサーを搭載するハイグレードなコンデジです。G1XからG7Xまでそれぞれ異なる特徴を持ち、幅広いニーズに応える人気シリーズです。いずれも後継機種としてMark II、Mark IIIとバージョンアップを重ねてきているのですが、G3Xに限ってなかなか後継機種が出ないまま今日に至っています。ココ数年、今か今かとMark IIの発表を待っていたのですが、しびれを切らしているうちに製造中止、在庫切れとなってしまいました。

 非常に癖のあるカメラで、人を選ぶ機種だけに、もう市場に出回らない可能性も考えられます。そこで思い切って、マーケットから姿を消す前に、マップ・カメラで中古品を購入することにしたのです。アメリカの中古屋は懲りていたので、信頼のマップさんに望みを託しました。結果、望外の優良品を手に入れることが出来ました。

 これはいわゆる高級コンデジの部類に入るものですが、1インチセンサーに25倍ズームを搭載した異色のカメラです。ライバルにSONY RX10やPanasonic FZ1000がありますが、携帯性では一歩抜きん出ています。とにかく望遠性能に優れ、はるか遠くの物体を高画質で撮影できる、私にとって唯一無双のカメラなのです。

 ちなみにPowershotシリーズで今一番人気はG7x Mark III。私はズームが足りないので敬遠しましたが、基本性能はピカイチ。レンズはF1.8-2.8、最新の画像処理エンジンDIGIC 8で、動画にも強くコンパクト。万人にオススメの一台です。


 これまで一眼機はSONY a58やCanon EOS 60Dなどを長年使用してきましたが、いま一歩思うような撮影ができませんでした。 腕が未熟なのをカメラのせいにしてはいけませんが、現代の最新技術から見ると、エントリークラスのデジイチやはり十分なスペックではなかったのです。オートフォーカスは遅いし不正確、ISOはちょっと上げると画質ザラザラ、手ブレ補正もなく、交換レンズも不十分なカメラが主流だったのです、ハイエンドを除けば。

 それから10年近くたって、ようやく素人でもいい写真の取れる機種が出始めました。しかしまだまだ十数万もする高値だったので、価格がこなれるのを待たねばなりませんでした。数年前にアメリカの中古カメラ店で、Canonの名機といわれたEOS 50Dというミドルクラスのデジイチを見つけました。

 格安だったので思わず購入したのですが、そのときのカメラがひどい傷物で、後悔したことがあります。撮影自体に問題はなかったのですが、明らかに落っことしたであろう凹みがグリップ部分にあるし、塗装は所々ハゲ落ち、モニターは曇ってぼやけるし、レンズや操作系のすきまにホコリが詰まりまくっていたのです。写り自体はほぼ期待どおりだったのですが、どうしても愛着がわかず、半年ほどで手放してしまいました。それ以来中古には手を出さず、コンデジの新品を買い替えては、写りのイマイチ感にがっくりする日々でした。

 そんななかで気付いたのは、自分はさほど画質に拘るタチではない、ということでした。最低限、狙い通りに焦点が合い、気に入った色合いが出せれば満足なのです。それよりシャッターチャンスを逃すことのほうが、問題でした。いつもかさばる一眼を持ち出して出歩くわけではないのに、そんなときに限って撮りたい風景に出会う。しかし中途半端なコンデジではそれを捉えることさえできないのです。

 そういった試行錯誤のなか、知人の一人からPanasonicのマイクロフォーサーズを紹介されました。たしかLumix GX7だったと思いますが、パソコン画面でみた写真の出来にびっくりしました。あんな小さなカメラで一眼に迫る画質が出るとは知らなかったのです。しかもその後継機種以降、パナソニックのマイクロフォーサーズには当時珍しい4K撮影が可能になっていたのです。これはシャッターチャンスに極めて有利でした。しかも軽量小型でレンズも望遠に強いときています。いわゆるお散歩カメラとしては理想に近いものでした。

 そこで出たばかりのLumix G8を購入。付属の標準レンズでも私には十分納得のいく写りでした。ボケの効果が薄い以外は何の不満もありません。ただ一つ、望遠レンズがそこそこ高価で手が出ないのが無念でした。それを埋めるのが今回買ったCanon G3Xなのです。

 趣味の写真を撮っていて思うことは、どだい一台のカメラですべての理想を実現することは出来ないということ。複数カメラの使い分けをするしか道はないのです。私はそういう結論に至りました。そこで今回打ち出したのが、3カメ体制です。

 #1 常時持ち歩く高性能コンデジ。

 #2 気軽に持ち出せるマイクロフォーサーズ。

 #3 ここ一番、目的があって使用する本格一眼。

 今後この3カメ体制で、写真の趣味を充実させていきたいと考えています。

 今回購入したCanon Powershot G3Xはこの#1に相当する新体制の第一歩です。#2のマイクロフォーサーズは今後買い替えるとしたら、たぶんG9になるでしょうか。

 そして最後に#3の座を埋めるのが、いま巷のカメラ・ファンの間でざわついているフルサイズ・ミラーレス一眼です。

 これについては、書き始めるとまとめるのが大変になりそうです。Canon Rシリーズ、NikonのZシリーズ、 SONYのa7やa9、はたまたPanasonic Sシリーズなど。いずれもハイスペック化はどんどん進んでいくばかりの様子。いまはただYouTuberたちの実機レポートなどをよだれを垂らしながら見るばかり。いつか自分に見合ったカメラを見極めた際は、借金してでも手に入れたいと願っています。

 いまはただひたすら、手持ちのカメラで少しでも腕を上げて、いい被写体を撮りまくっていきたい、そんなことを考える日々でごさいます。


2020年8月26日水曜日

アメリカのダイナー生き残り戦

 野外レストランを応援する


 3月に始まったコロナ・パニックで打撃を受けたレストラン。今も生き残りに懸命です。

 ニューヨーク市周辺では、現在どの店も店内飲食を制限し、減った座席の分を野外テーブルで補う作戦をとっています。それでも客足は以前のように復活とはいかず、それまでやらなかったオンラインによる受注、デリバリー・サービスなど、できる限りの知恵を絞って、踏みとどまっているのが現状です。

 こんな状況で生き残るのは大変なことです。日本では政府主導でGo To トラベルなる契機刺激策が打ち出されたようですが、レストランに対しても積極的な支援が望まれます。たとえば州や政府がデリバリーを促進するクーポンを発行したりできないのでしょうか。コロナ対策に積極的な優良店舗を指定し、その店でデリバリー・オーダーすると、一割引きのクーポンが使えるとか。そのクーポン代を税金で肩代わりするとかして。

 何かしないと、レストランの多くは冬まで保たないかもしれません。実際自分の周りのレストランも、閉店がぽつぽつ出始めています。もっと積極的にレストランに行こう、とは言いたいのですが、なかなか医療の観点からそうも言いにくいのが現状です。本当にむつかしい。

 今日は久しぶりに、屋外レストランに行ったのですが、客はまばらでした。レッド・ライン・ダイナーという私のお気に入りの店です。本来ここはうちの近所でも数あるレストランの中、一二を争う人気店です。以前なら連日満員御礼、外で列ができるぐらいの人気店でした。いや、いまでも人気はあるはずですが、やはり感染懸念から以前の勢いは見る影もありません。私はこの店に限らず、馴染みのあった店すべてに生き残って欲しいのです。この苦境をのりきり、次の世代まで美味しいものを食べさせてほしいと切に願っています。

 この日はコロナ始まって依頼、数ヶ月ぶりに店内での夕食をと思っていました。窓越しに少なめですが、飲食を楽しんでいる人の姿が見えます。しかし、いざ店のドアを開ける段になっって、ためらいが生じました。その前日ニュースで、エアコンの送風によって店内で空気感染が起きた可能性、なる報道を観たせいです。

 人間とは弱いもので、そういった報道や風評に踊らされるものです。一瞬の迷いの後、屋外のテーブルで夕食という判断になりました。ダイナーでの食事はメニューもさることながら、昔ながらのアメリカン・ダイナーの装飾と雰囲気に包まれて食べるのがいいのです。それがないと魅力が半減する、そんな先入観が私にはありました。しかし結果、外での食事は満足のいくものでした。

 この日はベーコンやほうれん草、モツァレラ・チーズなどをふんだんに盛り込んだオムレツとホームスタイルのポテトフライの組み合わせを所望しました。同伴した家内はツナサンドイッチとコールスローサラダ、娘はベジタブル・バーガーと野菜スープでした。

 野外テーブルは先月半ばから始まったもので、広い駐車場を効率的に活用しています。八割あまりのテーブルは巨大テントの下に配置され、雨天でも食事は可能。この日はちょうど日が沈む夕暮れ時で、夕立の直後でした。客はまばらで、テーブル間の距離も十分。これなら安心して食事ができます。加えて、雨の後ほどよい夕風がそよいで熱気が潮を引くようになくなっていきました、ここちよい外気を吸いながらの、のびのびとした外食は思いの外快適でした。この秋はもっと積極的にこの野外スタイルの食事を楽しもうと思います。

 おそらくどの店舗もまだ試行錯誤の段階かと思われます。置いたナプキンがあっというまに風に飛ばされるハプニングなどにも対応が必要です。働くサーバーの人たちも店内外を行き来せねばならず、仕事量も増えて大変なことも多いかと察します。それでも明るい雰囲気で客への配慮を怠らないスタイルは健在。今まで通りのフレンドリーなサービスについ「がんばれ」と応援の声が出そうになりました。

 いやじっさい、このスタイルはもや一過性のものでは無くなる可能性があります。すでに多くの分野で、ウィズ・コロナの経済活動を模索しており、レストランもこの例外ではないというわけです。

 ふつうにマスクをして入店し、注文の皿がきたら初めてマスクをとって食事をいただく。

 いまはなんともぎこちない風景ですが、シャッターの閉じた店舗の前を通り過ぎる光景よりはずっとましです。これからもできるだけ外食産業を応援し、美味しいものを食べ続けていきたいと願うばかりです。

ペットを守る都会の病院

 困ったときはまず相談できるところ


 あなたの大切なペットが怪我や病気に見舞われた時、信頼できる病院やドクターを想定していますか?

 多くのペット・オーナーがいざというときの準備ができていません。たいてい、ペットが危急な症状になってから慌てて動物病院を探します。そして緊急を要するため、一番近いドクター・オフィスに駆けつけることになります。多くの人がこのパターンで後悔しています。

ペットを扱う病院はたくさんありますが、小さい医院では扱えない範囲の怪我や病気がたくさんあります。ほとんどの、個人経営の獣医ができるのは応急措置までで、込み入った症状の場合は大きな病院を推薦されることがほとんどです。これではけっきょく時間だけ取られて、ペットの苦しみが長引くだけです。急がば回れという言葉のように、平時からペットのための病院を調べ決めておいて、できれば健康診断を受けておくことを勧めます。そうすれば、いざというときの手続きが迅速になります。事前の健康診断でアレルギーの有無や病歴などデータがあるのはとても有利です。またかつて知ったる医院、スタッフ、ドクターであることが安心に繋がります。

 ペットが緊急を要するときは、パニクりがちなので、信頼できる病院を確保しておきましょう。

 昨日、ニューヨーク郊外から一時間以上かけて、二匹のワンちゃんをマンハッタンのアニマル・ホスピタルに運びました。一匹は膀胱炎、もう一匹は肺を患っているとのことです。飼い主のおばあさんは一人暮らしで、八割がた目が見えない弱視のハンディキャッパーです。通常ならケアテイカーの人が付き添うのですが、この日はあいにくスケジュールが合わず、かといって三週間待った診察スケジュールをキャンセルすることもできず、私がサポートすることになりました。

 ワンちゃんいずれも中型犬で一匹はアメリカン・ブルドッグ、もう一匹はシェトランド・シープドッグの雑種だそうです。どちらも大柄でいかにも力がありそう。華奢なおばあさんがリードを持つのはかなり難しいように見えました。

 しかし病気のワンちゃん二匹とおばあさんを乗せての一時間半はなかなか手ごわい仕事でした。一匹は喘息も患っているのか、終始ゼイゼイうなりっぱなし。もう一匹は膀胱炎のため、15分に一回は下車して、放尿が必要だったのです。それを私がおばあさんの代わりのやるのです。いちいち高速道路から降りて草木の茂る場所を探すのは容易ではありませんでした。

 この一人と二匹を乗せて向かったのが、マンハッタンにあるその名もずばり、「The Animal

Medical Center」。このワンちゃんたちは持病があるとはいえ、なぜこんな一時間半もかかる病院にいくのかというと、前の犬のオーナーがここにかかりつけだったことが大きいと言います。しかしそれ以上に、この病院の医師やスタッフがとても親切で、ペット一匹一匹に向き合う姿勢が温かいとおばあさんはおっしゃるのです。私もこの病院の評判は上々だと聞いてます。数あるニューヨークの動物病院のなかでも、スタッフと設備が充実した指折りの施設だとか。マンハッタンに住むペット・オーナーにとってはオススメの動物病院と言えるかもしれません。

 おばあさんによると、電話相談にも対応しており、来院の前にまず状況を伝えるだけで、適切なアドバイスがもらえるそうです。唯一の欠点は二四時間体制でないこと。これは重要です。一刻を争う時には対応できないので、その点は考慮が必要ですね。

 それでもこの日のおばあさんは、全幅の信頼を置くお医者さんに診てもらえることを熱く語っておられました。人見知りがちな彼女のワンちゃんも、ここでは落ち着いて診察台にあがるそうです。こういった信頼関係は、物言わぬ生き物たちにとって重要なので、元気なときに医師と顔合わせしておくのはいいことでしょう。

 私は診察が終わるまで、病院の駐車場で待つことにしました。気がついたのは、人間であるペットの親の多くが、野外の待合室でたむろしていたことです。いまはコロナの影響で、できるだけ人を院内に入れない方針とのことです。待つ人のために駐車場の一部を使って特設テントが設けられていたのです。どうしてもペットに付き添いたい希望者だけ相談の上、中の待合室で待てるそうです。おばあさんは高齢ということもあり、中で待つことになりました。

 私が車中から見ていると、実にたくさんのペットが出入りしていきます。やはり犬が多く、入り口で、オーナーがリードを付けたペットをスタッフに預けます。治療が終わったペットもスタッフがビルから連れ出し、ペットの名前を連呼してオーナーを呼び出します。両者は互いに抱き合って無事を喜ぶ、そんな光景が繰り返されました。いちど、トラックが横付けされ、水槽のような大きなプラスチック・ボックスが搬入されました。搬送者のシャツに水族館のロゴが入っていたので、どうやら生き物が入っていたようです。あとでここのセキュリティに人に聞いたところ、多分カメかアザラシだろうとのこと。こうやって遠路はるばるこの病院を指名してくる患者、いや患獣がいるということを聞き、この病院の存在感をより大きく感じました。

 実は数年前も同様の仕事で、この病院に来たことがあります。そのときはラクダが病院に入っていくのを見てぎょっとしたものでした。獣医はどんな動物にも平等に対応するのが基本と聞いあことがりますが、毎日人間を相手する医師でも大変なのに、ことなるさまざまな種の動物を診るのはどんだけ困難ななことでしょうか。ほんとうにご苦労さまです。そんなことを思いながら、ワンちゃんたちの無事を祈るひとときでした。

 

2020年8月24日月曜日

ジョン・レノンを聴きたくて

ニューヨークで日本語 

 



 私が車で送迎するお客さんの八割はいわゆるリピーターで、昔から馴染みという人が多いです。そういった方は、気軽に世間話をしながら、目的地まで移動できるのですが、初乗りのお客さんの中には、どういった性格や習慣があるかわからないので、会話は少なめです。はじめこちらが話しかけて、あまり乗ってこないようだと、話したくないのだと判断し、ずっと目的地まで寡黙を通します。この日初めて乗車された初老の紳士は、地元の町からマンハッタンのミッドタウンまで行くよう依頼されたのですが、最初からむすっとした感じで、ミラー越しにみても腕を組み「話しかけるな」オーラを発しているように見えたので、こちらも言葉を発しないままマンハッタンまで1時間20分ほど走りました。

 目的地の10分ほど手前で、私が住所を確認すると、その紳士はいきなり私にどこからきたのかと聞いてきました。日本だと答えると、その人は片言の日本語で「ああ、やっぱりそうですか」と言いました。片言とはいえ、十分伝わるレベルです。彼は続けて「チャイナ人かもしれないと思いました。失礼しました」そう言うのです。

 私が「日本語が上手ですね」と褒めると、彼は昔日本に住んでいたと言いました。東京と軽井沢に数年滞在していたそうです。もう30年以上前のことだそうです。

「ワタシは、和菓子の勉強で日本にいました。生活費を稼ぐため、日本人にジャズ・ピアノを教えていました」彼はそう言いました。日本は大好きだと話は続き、次第に日本での思い出を語りだしたのです。しかしあいにく目的地はもう目の前に迫っていました。もっと早く彼の日本語に気付いて、話し相手になれれば良かったのにと思っても後の祭りです。

 ところが彼も話し足りなかったのか、急遽行く先を変えて、数ブロック先のとあるビルディングに行くよう指示してきました。私がそれに従うと、着いた先はあの有名なダコタハウスでした。

「ここにジョン・レノンが住んでいた」彼が言いました。もちろん私も知っています。

「そうですね」私が答えました。彼はマスク越しになぜかふふふと笑い、

「私はね、軽井沢で彼を見かけたんだ」紳士はそう言いました。「ヨーコ・オノも一緒だった。ふたりは仲良くコーヒーを飲んでいたね」

 彼が懐かしそうにそう言いました。

「へえ、そうですか」私が聞き耳を立てていると、「その先で下ろしてください」といきなり言われました。

 まだ話がありそうだったのに、あっけなくそう言われたのです。

「久しぶりに日本語を使いました」彼は微笑んで下車しました。

 私はなんだかコニュニケーションが尻切れトンボのようでバツが悪かったのですが、にっこり笑って「ありがとうございます」と丁寧に言いました。

 ニューヨークで日本語を話す人と会ったのは久しぶりだったので、なんだか名残惜しくなりました。もっと話せばよかった。そう思いながら、ひと仕事終えた私は、何の気なしにハンドルをとある場所に向けて走り出しました。

 ジョン・レノンという思いがけない名前を聞いて訪れたのは、セントラルパークにあるストロベリー・フィールドという記念碑のある場所でした。

 もう夕暮れ時だったので樹々の下は薄暗く、人気も少なかったのですが、敷地の歩道を歩いているとどこからともなく「パワ~トウーザ・ピーポ~!」とジョン・レノンの歌声が聞こえて来ました。おりしも止んでいた雨が小振りになり、周囲にふいに静けさが訪れました。

「幽霊? ばかな。ま、まさか、そんな」ちょっとビビりながら進んで行くと、その先にファンの聖地、ストロベリーフィールドの記念碑が現れました。碑にはきれいに花が飾られていました。
 その周囲には数人の若者がいて、スマホでビートルズの曲を流して聴いていたのです。なんというか、彼らも旅行者らしくて、ちょっとしんみりしめやかな雰囲気でした。気軽に「ハーイ!」なんて挨拶できる空気じゃありません。
 私は申し訳無さげに腰を低くして写真を1枚撮り、そろそろとその場を通過しました。
 どういう人たちか知りませんが、きっとジョンとその音楽をこよなく愛する人たちなのだと思いました。没後30数年たっても未だに愛され続けるジョン・レノン。さぞかしアーティスト冥利につきるでことでしょう。

 日本語を話すお客さんに導かれるように、十数年ぶりに来てみたストロベリーフィールド。そこは相変わらず、永遠の愛を歌うように、人々の心を惹きつけてやまない場所でありました。

2020年8月23日日曜日

ロング・ビーチ・アイランドを観光

 住んでみたい島

 

 ニュージャージー州随一の観光スポット、ロング・ビーチ・アイランド。地元の人達はこの島を、親しみを込めて頭文字で「LBI」エルビーアイと呼びます。

 起伏の殆どないフラットな陸地は平均海抜わずか数メートルに過ぎず、かつて幾度か訪れたハリケーンによって壊滅的な打撃を受けています。数年前のハリケーン・サンディでは多くの住居が床まで浸水し、家を失った人も少なくありません。私の家内の姉も一階のアパートが膝上までの浸水で家具や冷蔵庫、調度品などすべて使い物にならなくなったといいます。それ以降、州の条例で島のすべての建物を底上げするよう改革がなされました。その結果、数年かけて島内の95%以上の家屋が高床式住居のようになりました。一階部分は住居に割り当ててもよいのですが、多くの家が二階を中心に生活設計されたユニークな町並みとなりました。メインストリートの商店は一階を店舗にしていますが、それ以外非常時の被害を最小限になるよう準備されています。レジャーと非常時を兼ねたボートをほとんどの住人が所有しています。住む人達の災害に対する意識は、地震大国の日本も見習うべきだと思いました。

 

 車で島の北から南まで巡りましたが、どこもとても風光明媚で、住みよい別荘地のようです。一度は住んでみたいと思ってしまう島ですね。

 太平洋に面した延々と続く白砂のビーチ。この眺めは圧巻の一言。北も南も遥かに霞んで見えなくなるまでビーチが続いています。大西洋の波はけっこう荒くて、サーフィンにもってこいです。サメの出没も珍しくないのですが、このシーズンは比較的平穏に経過しているとのこと。代わりに、アザラシやクジラを目撃したという、微笑ましいレポートも耳にしました。地元のお年寄りでしょうか、早朝からビーチチェアとパラソルを用意して、砂丘の上から海を眺める姿が印象的でした。


 島の北端にはこの島の名物、ランドマークと言える、赤と白ツートンカラーのバーネガット灯台があります。訪れてみると、ここはけっこう観光客で混み合っておりました。すかさすマスクを着用して駐車場から灯台へ。あいにくというか、予想通り灯台内部は一時閉鎖されていました。以前登ったときは強風でしたが、展望台からの眺望は一見の価値ありです。360度見渡す限り水平線と地平線だけしか見えず、アメリカの広大さを実感したものです。灯台の周りにはヨットハーバー、自然公園、そして沿岸を歩ける堤防が長々と伸びており、たくさんの観光客で賑わっていました。

 そのあと島の中ほど、大西洋の逆側に行ってみました。そこは大陸と島の間の海で、波の少ない穏やかな海辺です。ちょうど瀬戸内海の湾岸沿いを思い浮かべれば良いと思います。


 そこかしこに柵で囲われた小さな砂浜があり、小さな子どもたちも安全に遊べる浅瀬となっています。潮の干満にもよりますが、プールより浅い浜辺では幼児を連れた家族がたくさん訪れてにぎわっていました。私達家族は時間をずらして夕暮れ時に行ってみたのですが、ほとんどひと気はなく、まるでプライベートビーチのように、のびのびと遊泳を楽しめました。

 翌日は島の南端へドライブ。ここもマイカーで駐車場は満杯でしたが、なんとか隅っこに駐車しました。その先の浜に出ると、はるか水平線の彼方、あたかも蜃気楼か、海に浮かんでいるようなアトランティック・シティを見ることができました。この一体の砂丘は、野生保護区となっており、遊泳はもちろん草一本抜いてはいけない決まりがあるので注意が必要です。とはいえ、平気で浜辺で遊び回る人たちがいて、ライフガードや見回りもおらず、セキュリティ緩すぎないかー、などと思ってしまいました。

遥か彼方に見えるアトランティック・シティ


 午後には島を出て、親戚の家の庭でソーシャルディスタンスで控えめな食事をいただきました。いつもなら気軽に親戚同士、こどもたちもハグし合うのですが、今年はちょっと寂しい再会となってしまいました。

 とはいえこのささやかな一泊旅行、敢行してよかったです。不安視された観光地での混雑にもほとんど遭遇せず、安全確保しつつ、見るべきところはしっかり見て回り、海水浴も堪能。なにより雄大な海と景色が、長らく続いたステイホームのフラストレーションを洗い流してくれました。

 これでうちの子供達も心置きなく新学期を迎えることができるのではないかと存じます。