2022年10月7日金曜日

未来のカメラを予想する

サムズアップ・アメリカ!
カメラの技術革新は始まっている





最高のデジタルカメラは、常に変化し、新しい機能を追加し、古い機能を改良しています。ここでは、近い将来、デジタルカメラ技術に訪れる最もエキサイティングで有望な変化をいくつかご紹介します。


シャッターボタンが無くなる日

未来のカメラには、シャッターボタンが必要ないかもしれません。その代わり、写真家はウインクをしたり、音声コマンドでカメラに撮影を指示することができるようになるようです。

Facebookのスマートグラス「Stories」は、デジタルカメラメーカーにインスピレーションを与えるかもしれません。Storiesのメガネには、ユーザーが口頭で操作できる2つの前面カメラが搭載されています。

Nikonはすでに機械式シャッターを取り除く方法を見つけ、Canonは電子シャッターボタンの特許を申請しており、シャッターボタンのないデジタルカメラへの道を順調に進んでいるようです。



「超小型」の再定義

超小型カメラは、通常1インチ以下の薄さです。ズボンのポケットや財布にすっぽり収まるサイズで便利です。これからは、さらに小さなサイズのカメラが登場し、このカテゴリーを再定義する可能性があります。

この予測は理にかなっている。カメラに搭載されるハイテク部品は、どんどん小さくなっていきます。スマートフォンのように、タッチスクリーンがカメラのサイズを決定し、他の操作やボタンがなくなるかもしれないのです。

すでに、厚さ0.7インチのDocooler Digital Camera Mini Pocket CameraやAilaah Digital Camera Mini Pocket Cameraが販売されています。また、PaperShoot Paper Cameraは厚さ0.5インチを記録しており、デジタルカメラがどこまで薄くなるかは分かりません。





ニオイが写真につく?

写真は視覚的なメディアですが、未来のカメラは画像に嗅覚を加えるかもしれません。

視覚以外の感覚を刺激できる写真というのは面白いアイデアです。例えば、撮影者がカメラに指令を出して、その場の匂いを記録し、撮影したビジュアルイメージに埋め込むことができます。もちろん、すべての香りが心地よいとは限らないので、オプションで用意する必要があります。

この「匂いを使ったグラフィック」については、すでにいくつかの研究がなされています。MITメディアラボは、スマートフォンに接続されたポンプを使った「匂いカメラ」と呼ぶものの概要を発表しました。
ユーザーはポンプを操作してゼラチンカプセルに匂いを取り込み、後でその記憶を匂いとともに「再生」することができるのです。



無限のバッテリーパワー

現在のデジタルカメラの充電池は、1回の充電で少なくとも数百枚の写真を撮影できるパワフルなものですが、もしカメラをコンセントに差し込まずに、使っているうちに自動的に充電できるようになったらどうでしょう。

太陽電池のようなものを内蔵し、太陽光や電池の電力だけで動作するような未来のカメラです。

太陽電池を搭載すると、カメラのサイズが大きくなってしまいますが、無制限のバッテリーパワーと引き換えに、許容できる範囲になるでしょう。

すでに太陽電池で動くビデオカメラやポータブルソーラーチャージャーがあることを考えると、太陽電池で動くデジタルカメラもそう遠くないうちに登場しそうな気がします。





ライトフィールドレコーディング

Lytroカメラはライトフィールド技術を採用しており、近い将来、一般的な写真撮影の大きな部分を占めるようになるかもしれません。ライトフィールド撮影では、写真を記録し、後でどの部分に焦点を合わせるかを決定する、というものです。

Lytroが2012年にライトフィールド技術のカメラを発表して以来、フォロワーが殺到することはありませんでした。しかし、グーグルは2018年にLytroを買収し、その後、近くにいない人と対面していることを疑似体験できる「魔法の窓」と呼ばれる「Project Starline」にこの技術を使っています。
また、Appleは2021年にライトフィールド技術の特許を取得しましたが、これはiPhoneのカメラにジェスチャー機能を追加し、より広い範囲を撮影できるようにするためと推測されます。

ライトフィールド技術に大手ハイテク企業が投資していることから、今後デジタルカメラにどのように活用されるかはまだ不明です。



高感度撮影が当たり前に

低照度や無照度での撮影を得意とするカメラが登場します。デジタルカメラのISO感度は、撮像素子の光に対する感度を決めるもので、現在のデジタル一眼レフカメラでは、最高ISO感度を51,200に設定することが一般的です。

しかし、キヤノンの非常に高価なカメラME20F-SHは、最大ISOが400万であり、事実上、暗闇でもカメラが動作するようになっています。
同様に、新しいスマートフォンには通常、機械学習とアルゴリズムを使用して低光量で優れた画像を作成するナイトサイト機能が搭載されています。

より一般消費者向けのデジタルカメラでは、最大ISO感度が向上しています。例えば、キヤノンの1DX Mark III(最高のデジタル一眼レフカメラの1つとされている)は、ISO範囲が50から819,200に拡張されています。



2022年10月6日木曜日

新発見:驚くべきヴァイキングの技術

サムズアップ・アメリカ!
ヴァイキングのビーズ職人の秘密が明らかに




北海に面したデンマークの小さな町リベはヴァイキング時代、重要な交易の町でした。8世紀初頭、リベ川の北側に交易所が設けられ、遠くから商人や職人が集まり、ブローチ、スーツのバックル、櫛、色ガラスビーズなどの商品を製造、販売していました。

中世初期にガラスが不足すると、ローマやビザンティンの神殿や宮殿、浴場のモザイクから色ガラスのキューブ(テッセラ)が取り出され、北へ運ばれてリベなどのエンポリア都市で取引され、ビーズ職人が大きな容器で溶かしてビーズに形作ったのです。

これまで考古学者たちは、真珠職人が不透明な白いテッセラを原料として、白く不透明なビーズを製造していたと推測していました。



現代にも通じるスマートで持続可能な生産

ところが最近その定説を覆す発見がなされたのです。
このオーフス大学の地球化学者と考古学者、そしてリベの博物館学芸員の発見は、このたび『Archaeological and Anthropological Sciences』誌に発表されたものです。

それは、金メッキを施した透明なガラスキューブを砕いて、低温で再溶解し、撹拌して空気を泡の形で閉じ込め、最後に鉄のマンドレルにガラスを巻き付けてビーズを形成するというものです。はるか昔にこのような複雑な工程が生み出されたのは驚きです。
それは最小限の資源を使って短時間で作られた半透明の白いビーズでした。





もちろん、金モザイク石の表面に付着していた貴重な極薄の金は、ガラス職人がガラスを再溶解する前に引き揚げています。
今回の発見では、わずかに一部の金が熔解釜に混入していたことが判明したのです。
白いビーズの中にある小さな金の滴、多くの空気穴(これがビーズが不透明である理由)、さらに化学的な色のトレーサーが存在しないことから、研究者は、実際にビーズの原料である金のモザイク石であったことを示したのです。

このような金の痕跡は、白だけでなく、同じ工房の青いビーズからも発見された。
この化学反応は、ガラス職人のレシピが青と金のモザイク石の混合物であったことを示しています。
ローマ時代の青いモザイク石には、不透明な化学物質が多く含まれており、モザイク画には適しているが、青いビーズには適していないため、これらを混合する必要があったのです。
このように化学物質を希釈することで、バイキング時代のビーズに見られるような深い青色で透明なガラスが誕生したということです。

リベのビーズ職人は、作業場で発見された漏斗ビーカーの古い破片で、ガラス混合物を希釈することも可能だったようです。しかも、それは何度も何度も溶かし直され、汚染された古いローマンガラスであることが判明したのです。

「オーフス大学地球科学部のグライ・ホフマン・バーフォッド氏は言います。「リベのガラス職人たちは、明らかに、手に入る限り最も透明なガラスを好む目利きでした。また、「地球化学者にとって、この素晴らしい資料を扱うことは特権であり、ここに保管されている知識が今日の私たちの社会にいかに関連しているかを発見することができました」とも述べています。





貴重な学際的研究の成果

この学際的な研究は、Gry Barfod氏、オーフス大学のデンマーク国立研究財団アーバンネットワーク開発センター(UrbNet)の考古学教授Søren Sindbæk氏、バイキング時代とリベの初期の歴史を専門とする南西ユトランド博物館のキュレーターClaus Feveile氏の共同作業で行われたものです。

「リベの交易地で最も優れた成果は、製品だけでなく、循環型経済と限りある資源を大切にする意識でした」とSøren Sindbæk教授は述べています。

また、博物館の学芸員であるClaus Feveile氏は、「これらのエキサイティングな成果は、ヴァイキングに関する、新しい事実を解明する可能性を示唆しています」とコメント。
今回のの高解像度による発掘とこのような化学分析を組み合わせることで、近い将来、さらに多くのことが明らかになると期待しています。

発掘で得られた遺物は現在、リベ・ヴァイキング博物館の新しい特別展で、ビーズ職人の工房を再現したレプリカの中に展示されています。



2022年10月5日水曜日

豆知識:血はなぜ赤いのか?

サムズアップ・アメリカ!
血球が赤いのはヘモグロビンのため




鼻血が出たとき、なぜ緋色の血が鼻から流れ出るのか、不思議に思ったことはありませんか?あるいは、肌の静脈が青く見えるのはなぜでしょう?
それはすべて、赤血球の中のカラフルな化学反応によるものです。

赤血球にはヘモグロビンという分子があり、これが酸素を結合して体内を運搬しているのです。ヘモグロビンは、4本のタンパク質鎖から成り、それぞれがヘムと呼ばれるリング状の化学構造を結合しています。

私たちの赤血球が赤いのは、ヘモグロビンに含まれるヘム基のせいです。そして、私たちの血液が赤いのは、その中に含まれる何百万もの赤血球のおかげなのです。

色は生物学の多くの側面で重要な役割を果たしている、とArchives of Pathology & Laboratory Medicine誌に掲載された記事が説明しています。

どんな記事かというと、テキサス州ヒューストンのMDアンダーソンがんセンター血液病理学部門のSergio Piña-Oviedo博士らが、ヒトの臓器における色の関連性と生化学について説明している論文です。

それによると、色は「カモフラージュと保護、代謝、性行動、コミュニケーション」に重要であると説明しているのです。





金属が重要なカギ

赤血球中のヘモグロビン分子のタンパク質鎖は、私たちの遺伝子によってコード化されています。グロビン遺伝子に変異があると、サラセミアや鎌状赤血球症などの病気を引き起こすことがあるります。

酸素と結合するために、タンパク質鎖はそれぞれ1つのヘム基と結合し、ヘモグロビン1分子あたり最大4個の酸素分子を結合することができます。

ヘムの中心には、鉄の分子があります。この鉄のおかげで、ヘムは赤茶色に見えるのです。しかし、この鉄を別の金属に置き換えてみたらどうでしょう。

化学の授業で習った緑色の炎を思い出してみてください。植物の葉が緑色なのは、葉に含まれるクロロフィルの環の中心にマグネシウムが含まれているからです。
一方、冷血動物では血液が青く見えますが、これは銅原子が環の中心に座って酸素と結合しているためです。





血液の

話を人間の血液に戻すと、私たちが空気を吸い込むと、ヘモグロビンの鉄が肺の中で酸素と結合します。これにより私たちの血液は、肺から体内の組織へと送り出されるため、真っ赤に見えています。

幸い、酸素結合は可逆的です。つまり、肺に取り込まれた酸素は、血液が体内を循環する際に、組織で放出されるのです。

酸素が放出されると、二酸化炭素に置き換わり、二酸化炭素は再び肺に取り込まれ、呼吸とともに体外に排出されます。二酸化炭素がヘモグロビンと結合すると、鮮やかな赤色から紫色を帯びた濃い赤色に変化します。

でも、なぜ私たちの静脈は青く見えるのでしょうか?
それは錯覚で、実は静脈そのものは白っぽいピンク色をしています。私たちが目で見ている青色は、血液、血管、皮膚、そして色を見るためのプロセスが組み合わさってできている。それで外側からはフィルターをかけたように青く見えるのです。



2022年10月4日火曜日

超キュートな「リアル・ピカチュー」

サムズアップ・アメリカ!
北米で最も可愛い哺乳類、アメリカン・ピカ




● American Pika (ナキウサギ)

北米で一番かわいい動物はなんですか?
こう問われると、いろんな答えが出てきますが、「ピカ」と答えたら反論する人はいないでしょう。とにかく見た目が愛らしく、その鳴き声も歌声のように人々を魅了する愛らしい小動物です。

北米西部のロッキー山脈は、カナダのブリティッシュコロンビア州の最北部からニューメキシコ州の南部まで、多様な生物相を持つ広大な地域です。
アメリカ地質調査所(USGS)は、ロッキー山脈に10の森林帯を認定しており、その最高峰は標高4,300m以上
そして、その多くの高峰の頂上、森林限界の高さ、あるいはそのすぐ上の岩の多い場所に、このアメリカナキウサギ(通称ピカ)が生息しているのです。



数ある哺乳類の一種ですが

「ピカ」つまりアメリカナキウサギ(Ochotona princeps)は、世界中にいる29種のナキウサギのうちの1種です。アメリカナキウサギは、同じウサギ目(Lagomorpha)に属するため、ウサギやノウサギの近縁種にあたります。
属名のOchotonaはモンゴル語でナキウサギの名前であるochodonaに由来し、princepsはラテン語で "首長 "を意味します。
一般的に愛称で「ピカ」と呼ばれるのは、カナダ北部の先住民族であるチペワイヤン族がピカの名前を "小さなウサギの長 "という意味に翻訳したからだそうです。
ピカには、ロックラビット、ネズミウサギ、口笛ウサギ、コニーなど、多くの通称があります。






ピカの見た目

アメリカナキウサギは、ウサギというよりハムスターやモルモットに近いかもしれません。体長は15~20cm、体重は成人で7オンス(198g)ほど。

草食性の哺乳類で、淡褐色の厚い毛皮、丸い耳、尾はない。ウサギやノウサギと違い、後ろ足は前足より長くないです。足の裏は密生した毛で覆われています。
なおナキウサギはウサギ目(Lagomorpha)最小の動物です。



優れた感覚

ピカの一番の特徴は優れた聴覚と視覚。そして鋭い爪と毛皮で覆われた足で、崩れやすい高山の岩場でも素早く移動することができる能力です。
また、とてもよく鳴く動物でもあります。(だからナキウサギ)
怖くなると「イーッ」と甲高い声で叫び、周囲に危険を知らせます。また、自分の縄張りを守るため、そして他の地域のピカとコミュニケーションをとるために、さまざまな鳴き声や歌を歌います。



生息地

北米のピカは主にロッキー山脈の最高峰の樹林帯の上や、その周辺の岩場に生息しています。巣は距骨の間の深いクレバスや穴、高山の草地やその他の植生に近い場所に作られます。
アメリカナキウサギは、その個体数と地理的条件から36の亜種に分類されています。
彼らはカリフォルニア州のシエラネバダ山脈、オレゴン州とワシントン州のカスケード山脈、ニューメキシコ州南部からブリティッシュコロンビア州にかけてのロッキー山脈一帯に生息しています。





エネルギッシュな小動物

ピカは冬眠しないし、生涯ずっと移動もしません。長く厳しい冬を越すために、短い夏を標高の高い山々で過ごし、植物を採取して暮らします。
ナキウサギを研究する科学者によると、冬の食料を確保するために、1頭のナキウサギが夏の間に14,000回、1時間に25回も採食に出かけるといいます。すごいエネルギー量です。
このような超忙しい活動の体力を維持するために、ナキウサギは1日に9回も食事をすることがあるそうです。



暮らしぶり

ピカの社会的な交流は様々です。岩場や崖を縄張りにしている個体は非社会的で、自分の縄張りを広く確保し、それを守っています。彼らは様々な鳴き声で他のピカに自分の存在を知らせます。隣人に出会うと、「私のテリトリーから出て行ってー」と攻撃的な追いかけっこが始まるのが普通です。
いっぽう彼らはは家族集団で生活する傾向があり、集団で交流し、共通の縄張りを守ります。家族内では、互いに毛づくろいをし、並んで座ったり、鼻をすり合わせたりすることもあるそうです。



シーズン中の求愛

毎年春になると、ピカは新しい交尾のペアを作ります。オスは選んだメスに何度も歌を歌いながら求愛します。繁殖は5月下旬、まだ雪が残っているうちに始まります。妊娠期間は約30日で、2~6頭の仔を産みます。
赤ちゃんピカは生まれてから9日目くらいにようやく目が開き、毛もなく、目も見えません。母親は単独で子育てをします。4週目になると、子供は巣を離れ、自給自足を始めます。メスは通常、毎年夏に2頭の子供を産みます。



生活の知恵

ピカは草食動物で、必要な水分のほとんどを植物から得ていまする。雪が降る寒い冬でも、冬眠はしません。
その代わり、栄養価が最も高くなる夏の間にさまざまな植物を集めて保存しておきます。集めた食糧は岩の上に広げ、太陽の光で乾燥させます。乾くと、貴重な植物を集めて「干し草の山」に積み上げ、岩や岩の下に隠しておくのです。





食べる力

ピカの歯は鋭いノミのようなもので、山の草原に生えるさまざまな植物を刈り取ります。草や雑草、低木が餌の90%を占めます。
また、木の皮や針葉樹の針、スゲ、地衣類、クローバーなども食べます。
生物学者の研究によると、ピカの干し草の山の重さは27キログラムにもなるそう。干し草の山は縄張りの中に隠されており、高さは2フィート(0.6メートル)に達することもあり、30種類以上の植物が含まれているそうです。
また、生物学者は、長い冬の間、食べられる植物を保存するために、有毒化学物質を多く含む植物を干し草の中に入れることも発見しています。冬の終わりには、毒が分解された後の元有毒植物も食べるという知恵も持っています。



生きるための場所

ロッキー山脈のナキウサギは生まれた場所から数マイル、数キロメートルのところで一生を終えます。野生のナキウサギは、山頂で一緒に暮らす多くの捕食者を避けることができれば、7年まで生きることができます。
コヨーテ、テン、イタチなどが険しい山々を共にし、日々脅威にさらされています。さらに鷹やワシから格好の餌食と目されるので、空からの危険もあります。



生命の危険

気候変動は間違いなくロッキー山脈のピカの個体数に対する最大の脅威です。
生物学者の研究によると、近年、ピカの生存・生育に適した平均標高が275mも上昇していることが判明しました。
気温の上昇は積雪量を減らすだけでなく、断熱性の高いナキウサギの厚い被毛に体温がこもってしまい、オーバーヒートの結果、ナキウサギが死んでしまうこともあるそうです。
また、家畜の放牧や、山頂のテリトリーに入る人間との交流の増加も、この魅力的な北米の哺乳類を脅かす要因のひとつです。



ナキウサギが泣いている

悲しいことに、アメリカナキウサギは2度にわたって絶滅危惧種保護法の適用を受けられず、直近では2016年に適用が却下されました。
科学者たちは、この却下は科学的事実ではなく、政治的理由からなされたものだと主張しています。環境保護問題に巻き込まれる、この小さな生き物をなんとかしてあげたいものです。

「全米で最もかわいい動物のひとつ」
「ウサギとプレーリードッグを掛け合わせたような動物」
と評された貴重な在来哺乳類が、気候変動という増大し続ける問題にさらされ、不確かな未来に直面していることは、とても悲劇的なことです。



2022年10月3日月曜日

知られざるチューインガムの歴史

サムズアップ・アメリカ!
チューインガムはどこから来たか?




ガムは、近代社会に商品として流通して以来、決してなくなることなく、愛用される嗜好品の定番です。
人々が当たり前のように世界中で噛んでいるガムは、好き嫌いにかかわらず、世の中のどこにでもあるありふれた食品の一つ。
子供がおやつの一つとしてガムを噛んだり、口臭予防のアイテムであったり、気分を落ち着ける作用に期待する人もいます。
時に歩道で靴にくっついて、公衆環境を台無しにする邪魔者にもなります。

でも、そのありふれたガムの原料がどこから来るのか、考えたことがありますか?



チューインガムの歴史

 マヤとアステカは、ガムの特性を初めて解き明かした 

マヤ考古学者のジェニファー・P・マシューズは、このテーマで一冊の本を書くほど、このことについて考察しています。「チクル。アメリカ大陸のチューインガム、古代マヤからウィリアム・リグレーまで」はその著書の一つです。

チクルとは、メキシコ南部と中央アメリカのサポジラの木から抽出される樹脂のことです。この樹脂は、樹皮の切り口を保護するための天然のバンドエイドに相当するもの(ゴムと同じ原理で、どちらも広義のラテックス)です。

マヤやアステカでは、樹皮をスライスすることでこの中の樹脂を集め、噛むことができる物質を作ることを大昔に発見していました。
マヤ人は樹皮を煮て乾燥させ「チャ」と名付け、マシューズ氏はそれを「喉の渇きを癒し、飢えを防ぐためだ」と言い、またアステカ人は「チクル」が口臭予防になることを認識していたのです。


今も受け継がれるマヤのガム製造



しかし、興味深いことに、アステカ族は人前でガムを噛むことを、大人、特に男性にとって社会的に許されないことと考えていたようです。マシューズ氏は、16世紀のスペイン人宣教師ベルナルディーノ・デ・サハグンの観察を引用しています。

サハグンの記述によると、人前でチクルを噛むことを敢えてする成人女性は遊女とみなされ、男性は 「女々しい 」とされたことを明らかにしています。
もちろん、マシューズ氏が指摘するように、マヤ人とアステカ人は、世界で最も早くガムを噛むようになった文化ではありません。
古代ギリシャでは、マスチッヒという植物由来の物質を噛んでいた(あるいは咀嚼していた)ことが長老プリニウスによって記されています。
考古学的証拠によれば、数千年前のスカンジナビアの若者たちは白樺樹皮のタールを噛んでいたようです。
さらに北アメリカ先住民の文化ではトウヒの樹脂を噛んでおり、ヨーロッパからの入植者はその習慣を取り入れ、資本化した事実もあります。
どうやら古来、人が何かを噛むという行為は、飢えた時など、食事の代用品として重要な役割を担っていたようです。





しかしそのどれもが、今日私たちが知っているような、どこにでもあるチューインガムではありません。
近代において、最初に突破口を開いたとされるのは、現地で工場を経営していたアダムズという人物です。
彼は、亡命中のメキシコ大統領、アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アンナ将軍とのつながりで、どういうわけか(経緯は不明)チクルの供給を受けることができたのです。
アダムズとその息子たちは、まずチクルを加硫してゴムのような有用な工業用物質にしようとしたのですがうまくいきません。
最終的には、チクルを煮て手で丸めてチューイングガムにするという原始的な、発想の転換を思いつきました。

「彼らは、地元のドラッグストアで販売した最初の製品を数時間で売り切り、製造業を始めることにしたのです」とマシューズは書いています。
1880年代後半には、アダムス・ガムは広く販売されるようになり、毎日5トンのチューインガムを生産するようになりました。

同じ頃、ウィリアム・リグレーという若い石鹸のセールスマンが、賢いマーケティングの仕掛けを思いつきます。
彼の会社は、石鹸を大量に注文した業者に、無料でチューインガムを配るという作戦を打ち出しました。ところがここで彼は「石鹸よりもガムの方が人気がある」ことに気づき、彼は転職を決意したのです。
ウィリアム・リグレー・ジュニア社が本当に軌道に乗るまでには、何度も失敗を重ね、大規模な広告キャンペーンを行いました。結果、1932年に亡くなるまでに、リグレーはアメリカで最も裕福な人物の一人となったのです。
今でも、アメリカでリグレーのガムといえば最大手で、全米のシェアの大半を占めています。




ガムの成功とその代償

統計によると、1920年代にはアメリカ人は平均して年間105本のガムを噛んでおり、チクルの大規模な需要を生み出しました。
アダムス、リグレー、その他のチューインガムの大物の財産が急増したため、多くのラテンアメリカの地域社会はすぐにその代償を払うことになりました。
ヒトの文化によくあることで、人間の欲望は自然の資源を凌駕してしまったのです。
収穫量の激増によって、持続不可能な伐採方法が進み、地域に共生する他の植物までとばっちりを受けました。
1930年代半ばまでにメキシコのサポジラという木の少なくとも4分の1が枯れ、科学者たちは40年以内に森林が完全に枯渇すると予想したのです。
木にとっては幸いなことに(しかしラテンアメリカの経済にとっては不幸なことに)、チューインガムメーカーはすぐに石油やワックスなどを原料とする、安価な合成ベースに切り替え始めました。やがて1980年には、アメリカはメキシコからチクルを一切輸入しなくなったのです。

しかし現在、チクルは少しづつ復活しつつあるようです。
今年、英国でChiczaというメキシコの小さな会社が、環境に配慮した「The world's first biodegradable chewing gum」(世界初の生分解性チューインガム)というものを売り出したばかりなのです。
この新しいガム製品を米国で見つけた人はいるでしょうか? もしまだなら、そう遠からず、どこでも見られるようになるかもしれませんね。



2022年10月2日日曜日

動物撮影の楽しみ方

サムズアップ・アメリカ!
野生動物を撮影する初歩的なヒント





アメリカを旅していると、自然保護区やサファリパークなどでの動物撮影についていろいろなことを学びます。
私も最初は全く何も知りませんでしたが、時間をかけて様々な条件下で撮影を経験することで、いろんな要因に気づき、だんだんコツがあることに気付かされました。
ここでは、初めて動物を撮影する人のために、動物を撮影するためのヒントを紹介します。



● ズームレンズを使う

多くの野生動物は、動物園と違い、人が来ると警戒し逃げてしまいます。
ご存じのように鳥類ならなおさらで、ちょっと近づくと飛んで行ってしまいますよね。
大型の動物であれば、じっとしていることもありますが、その場合、近づきすぎると大きな危険にさらされることもあります。
森で熊を見かけたら、撮影は断念して、まず身の安全を確保しなければなりません。鹿やムースなどの大型哺乳類も北米では見かけますが、生態系を考慮し、あまり接近することはお勧めしません。

ではどうすれば野生の動物を撮影できるのか?
単純な答えですが、最も簡単に動物を撮影できるのが、ズームレンズです。
それもできるだけ焦点距離の長いレンズがお勧めです。
標準域のズームレンズでは、野生動物は指先程度の大きさにしか撮れません。大半のスマホカメラもこの望遠撮影は苦手で、この点においては、やはり高ズーム域をカバーするカメラおよびレンズの方が、圧倒的に有利です。
野鳥撮影の専門家には不足でしょうが、その他の野生生物なら最低300mmの焦点距離がないと満足のいく撮影はできないでしょう。

写真家の中には、このレンジのレンズを使うと写真が粗くなると言う人もいます。しかし、動物を撮り始めたばかりの初心者には、これで十分だと思います。

ズームレンズのもう一つの利点は、必要に応じて簡単にあなたの焦点距離を調整し、迅速にベストショットをゲットできることです。
そして何より頻繁にレンズ交換する必要がないことです。
刻々と動いていく野生動物ですから、せっかくのシャッターチャンスなのに、もたもたレンズ交換している暇はありません。
ほんの少し、画質に妥協しても高倍率のズームレンズを使用した方が、撮影成功率はグッと高まるのです。
ですから、初めて野生動物を撮影される方は、撮影距離の長いレンズをお勧めします。





● シャッタースピードを速くする

動物は常に動いているので、シャッタースピードを速くしたいものです。
シャッタースピードとは、シャッターを開いている時間のことです。
シャッタースピードが速ければ速いほど、短ければ短いほど、動物の連続した動きを1枚の写真に収めることができます。
動物を撮るときは、特に活発な動物や落ち着きのない動物には、最低でも1/500秒以上のシャッタースピードで撮影することをお勧めします。
そうすることで、動物の動きを逃さず、部分的にブレるのを防ぐことができます。



● ISO感度を上げよう

シャッタースピードを速くすると、センサーに光を当てる時間が短くなるので、露出が暗くなってしまいます。
このバランスをとるために、ISOを上げることができます。
これは、カメラのセンサーの光に対する感度のことです。光に対する感度が高ければ高いほど、センサーに光が当たるまでの露光時間が短くなります。

注意点として、ISOを上げると、カメラ内の画像信号が増幅されます。
その結果、写真に写るノイズの量も増幅され、画像が荒くなってしまいます。
幸いなことに、画像のノイズに耐えられない場合は、ノイズを軽減する方法がたくさんあります。多少ノイズが多くても、ディテールがしっかりした露出の写真になるなら、安いものです。
ですから、ISO感度を高くすることを怖がらないでください。撮影を重ねて目が肥えてくるとノイズが気になるでしょうが、初めのうちは周囲のノイズより被写体がブレないよう注力してください。徐々にISOの塩加減もわかってくるし、感度の設定も落とし所が掴めてくるはずです。
センサーによってもノイズの出方が違いますが、露出が足りずディテールが見えない写真(またはボケた写真)よりはましです。






● ゴールデンアワーの時間帯に撮影する

動物を撮影するのに最適なタイミングは、ゴールデンアワーに近い時間帯です。
真上から光が当たっている時に撮影すると、非常にきつい明るい光になってしまい、その結果、写真に暗い影ができます。ゴールデンアワーに近いほど、太陽は地平線に近くなります。そうすると、光が拡散して、被写体に良いアングルを与えることができるのです。
また順光と逆光の使い分けで、写真の味付けがまったく変わることがわかり、状況に応じて使い分ける楽しみが増えてきます。



● エサ場を探す

どんな動物も水分の補給は必要です。よって水辺には多くのシャッターチャンスがあります。もともと水辺に住む亀やカエル、その他多くの両生類も見つかりますし、北米ではビーバーやグランドホッグも池や川の近くに住処を作ります。
特に夏場などは、水を求めて多くの動物が川や池によってくる可能性が高まります。野鳥はもとより、鹿やラクーン、リスも水際の木陰で見つかることがよくあります。
初心者の撮影対象として、撮影しやすいのはアヒルやカモ、ガチョウの水鳥で、彼らは人を他の動物ほど怖がらないので、かなり接近して撮ることができます。
動きも緩慢なので、彼らのストレスにならないよう気を配りながら、しつこくならず、迅速に撮影する手際の良さをマスターしてください。



● まとめ

野生の動物を撮ることは楽しいです。時に目指す被写体がなかなか見つからず、焦ることがありますが、そんなときは民家の人通りで見かける暇そうな猫など(ワンちゃんでもスズメでも結構ですが)で撮影の練習をしてみてください。
動物の動きや仕草に慣れることもできましすし、何より飼い猫は人にあまり警戒心がないので、一定の距離をたもちさえすれば、リラックスした自然体の猫を取ることも難しくありません。あまり遠くへ行くことばかり考えず、まずは身近な小動物から撮影を始めてみてください。






2022年10月1日土曜日

アメリカン・アート:バスキアの衝撃

サムズアップ・アメリカ!
時代を駆け抜けた天才バスキア
彼はなぜ高く評価されるのか?




ジャン=ミシェル・バスキアは、グラフィティ・アーティストからダウンタウンのパンク・シーンに身を置くようになり、わずか数年の間に有名なアート・スターへと転身しました。ニューヨークの路上で寝泊まりしていた彼は、アンディ・ウォーホルと親しくなり、新表現主義芸術運動の最も有名な画家の一人として、アメリカのエリート芸術界に参入することになりました。
バスキアはヘロインの過剰摂取によりわずか27歳でこの世を去りましたが、1980年代にニューヨークで急増したダウンタウンアーティストへの関心と切っても切り離せない関係にありました。



彼の作品は、個人的に共鳴するサイン、シンボル、図形などの視覚的なボキャブラリーを通して、アフリカ、ラテン系、アメリカの混血遺産を探求し、ストリートからギャラリーへ移るにつれ、彼の芸術はスケール、範囲、野心において急速に発展しました。
彼の作品の多くは、富と貧困の区別に言及し、セレブリティ・アート界における労働者階級の有色人種としての彼のユニークな立場を反映しています。
彼の死後数年間、彼の作品への注目(と価値)は着実に高まり、2017年には1枚の絵がオークションでアメリカ人アーティストの作品に支払われた最高額という新記録を樹立するまでになりました。



功績の数々

バスキアの作品は、さまざまなスタイルや技法が混在しています。
彼の絵画はしばしば言葉やテキストを含み、彼のグラフィティは表現豊かでしばしば抽象的であり、彼のロゴや図像は深い歴史的な共鳴を持っていました。
彼の作品はしばしば思いつきの延長線上と捉えられ、一見「研究していない」ように見えるが、彼は非常に巧みに、意図的に、異質な伝統、慣習、スタイルの数々をまとめ上げ、彼特有の視覚的コラージュを作り出したのです。

彼の作品の多くは、富裕層と貧困層、黒人と白人、内面と外面の経験といった2つの極の間の対立や緊張を反映しています。
この緊張とコントラストは、彼がニューヨーク市や一般的なアメリカで育ち、生活してきた混合文化の遺産と経験を反映したものであります。

バスキアの作品は、ミニマリズムとコンセプチュアリズムが国際的なアート市場を席巻した後、1980年代のアメリカのアーティストたちがいかに人間の姿を作品に再導入し特権化し始めたかを示す一例でもあります。
バスキアや他の新表現主義の画家たちは、より遠い伝統である1950年代の抽象表現主義や、今世紀初頭の表現主義との対話を確立したとみなされていました。


バスキアの無題の作品の一部を切り取ったものです



カウンターカルチャーの急先鋒として

バスキアの作品は、1980年代初頭に起こったパンク、グラフィティ、カウンターカルチャーの実践に対する美術界の認識を象徴するものである、見做されています。
バスキアが作品を制作した文化的環境を理解するためには、こうした文脈、そして芸術界の再調整における形式、運動、シーンの相互関係を理解することが不可欠でしょう。
それまで、従来のアート・マーケットに対立するものとして捉えられていたサブカルチャー・シーンは、そのアーティストが批評家に受け入れられ、大衆に賞賛されることによって変貌を遂げたのです。

バスキアが急速に名声を高め、薬物の過剰摂取によって悲劇的な死を遂げたことは、80年代半ばの国際的なアートシーンを象徴していると考える批評家も多くいます。
この時代は、人工的なバブル経済と相反する文化現象であり、アーティスト個人と作品の質を低下させたとも言われています。



バスキアの矛盾の吸引力

なぜバスキアが当時、そして今も世界から愛されるのか(力強い黒い頭蓋骨を描いた作品「Untitled」は1億1000万ドル以上で落札され、アメリカのアート作品の最高値を更新した)、と聞かれたら、その答えは簡単ではないでしょう。


その答えは、おそらく、ジャン=ミシェル・バスキアのすべてが組み合わさったものだからではないでしょうか。
彼は若く、野心的で、周囲の世界をむさぼり食って、それを次から次へと傑作という形で吐き出すような人でした。
重要な社会問題に対して強い態度と情熱的な視点を持っており、彼のアート作品の中で、その問題に注意を向けるための力強いエネルギーを感じます。
彼は速く、荒々しく生き、自分の周りで起こることすべてに敏感だったようです。愛と恐怖と怒りと苦悩と陶酔と恍惚、バスキアはそのすべてであり、それ以上のものであったのです。彼の野性的でうっとりするような炎に巻き込まれ、近づきすぎれば、やけどや火傷をしないわけにはいかない・・・。そんな危険で儚い存在だったと思えるのです。


       4千万ドルの値がついたThe Guilt of Golden Teeth, 1982.


バスキアの残したもの

彼は、その強迫観念的なライフスタイルと作品によって、信じられないほどの名声とフォロワーを得ながら、短い芸術家人生の先にある批判的思考を促すことに成功したのでしょうか。人種差別の蔓延、資本主義の危険性、そして彼が絶えず批判してきた消費者主義的な行動の増大に対する意識を高めることに、本当に貢献したのでしょうか。

答えはイエスでもあり、ノーとも言えます。一方では、彼はポストモダンの偉大なアーティストの一人であり、その型破りな手法と力強い芸術的発言で賞賛されています。

またその一方で、バスキアの名前さえも、ポップカルチャーの商業化から逃れることはできなかったのも事実。例えばバスキアの死後32年、彼の画風をモチーフにした柄を魅力的に着こなしたバービー人形が登場しました。
肌の色に関係なくアートの重要性とパワーを若い人たちに伝えようとする、大胆な試みと見るか、それとも、今やアート界のビッグネームとなった彼のメッセージの本質を完全に見逃して、魂なき資本主義企業が金儲けをしようとする試みのひとつと見るか。

いずれにせよ、地元のニューヨーカーでさえ一言で捉えきれない彼のアートの魅力は、なおも輝きを放ちつつ、いろんなものに影響を与え続けているのです。