2022年10月3日月曜日

知られざるチューインガムの歴史

サムズアップ・アメリカ!
チューインガムはどこから来たか?




ガムは、近代社会に商品として流通して以来、決してなくなることなく、愛用される嗜好品の定番です。
人々が当たり前のように世界中で噛んでいるガムは、好き嫌いにかかわらず、世の中のどこにでもあるありふれた食品の一つ。
子供がおやつの一つとしてガムを噛んだり、口臭予防のアイテムであったり、気分を落ち着ける作用に期待する人もいます。
時に歩道で靴にくっついて、公衆環境を台無しにする邪魔者にもなります。

でも、そのありふれたガムの原料がどこから来るのか、考えたことがありますか?



チューインガムの歴史

 マヤとアステカは、ガムの特性を初めて解き明かした 

マヤ考古学者のジェニファー・P・マシューズは、このテーマで一冊の本を書くほど、このことについて考察しています。「チクル。アメリカ大陸のチューインガム、古代マヤからウィリアム・リグレーまで」はその著書の一つです。

チクルとは、メキシコ南部と中央アメリカのサポジラの木から抽出される樹脂のことです。この樹脂は、樹皮の切り口を保護するための天然のバンドエイドに相当するもの(ゴムと同じ原理で、どちらも広義のラテックス)です。

マヤやアステカでは、樹皮をスライスすることでこの中の樹脂を集め、噛むことができる物質を作ることを大昔に発見していました。
マヤ人は樹皮を煮て乾燥させ「チャ」と名付け、マシューズ氏はそれを「喉の渇きを癒し、飢えを防ぐためだ」と言い、またアステカ人は「チクル」が口臭予防になることを認識していたのです。


今も受け継がれるマヤのガム製造



しかし、興味深いことに、アステカ族は人前でガムを噛むことを、大人、特に男性にとって社会的に許されないことと考えていたようです。マシューズ氏は、16世紀のスペイン人宣教師ベルナルディーノ・デ・サハグンの観察を引用しています。

サハグンの記述によると、人前でチクルを噛むことを敢えてする成人女性は遊女とみなされ、男性は 「女々しい 」とされたことを明らかにしています。
もちろん、マシューズ氏が指摘するように、マヤ人とアステカ人は、世界で最も早くガムを噛むようになった文化ではありません。
古代ギリシャでは、マスチッヒという植物由来の物質を噛んでいた(あるいは咀嚼していた)ことが長老プリニウスによって記されています。
考古学的証拠によれば、数千年前のスカンジナビアの若者たちは白樺樹皮のタールを噛んでいたようです。
さらに北アメリカ先住民の文化ではトウヒの樹脂を噛んでおり、ヨーロッパからの入植者はその習慣を取り入れ、資本化した事実もあります。
どうやら古来、人が何かを噛むという行為は、飢えた時など、食事の代用品として重要な役割を担っていたようです。





しかしそのどれもが、今日私たちが知っているような、どこにでもあるチューインガムではありません。
近代において、最初に突破口を開いたとされるのは、現地で工場を経営していたアダムズという人物です。
彼は、亡命中のメキシコ大統領、アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アンナ将軍とのつながりで、どういうわけか(経緯は不明)チクルの供給を受けることができたのです。
アダムズとその息子たちは、まずチクルを加硫してゴムのような有用な工業用物質にしようとしたのですがうまくいきません。
最終的には、チクルを煮て手で丸めてチューイングガムにするという原始的な、発想の転換を思いつきました。

「彼らは、地元のドラッグストアで販売した最初の製品を数時間で売り切り、製造業を始めることにしたのです」とマシューズは書いています。
1880年代後半には、アダムス・ガムは広く販売されるようになり、毎日5トンのチューインガムを生産するようになりました。

同じ頃、ウィリアム・リグレーという若い石鹸のセールスマンが、賢いマーケティングの仕掛けを思いつきます。
彼の会社は、石鹸を大量に注文した業者に、無料でチューインガムを配るという作戦を打ち出しました。ところがここで彼は「石鹸よりもガムの方が人気がある」ことに気づき、彼は転職を決意したのです。
ウィリアム・リグレー・ジュニア社が本当に軌道に乗るまでには、何度も失敗を重ね、大規模な広告キャンペーンを行いました。結果、1932年に亡くなるまでに、リグレーはアメリカで最も裕福な人物の一人となったのです。
今でも、アメリカでリグレーのガムといえば最大手で、全米のシェアの大半を占めています。




ガムの成功とその代償

統計によると、1920年代にはアメリカ人は平均して年間105本のガムを噛んでおり、チクルの大規模な需要を生み出しました。
アダムス、リグレー、その他のチューインガムの大物の財産が急増したため、多くのラテンアメリカの地域社会はすぐにその代償を払うことになりました。
ヒトの文化によくあることで、人間の欲望は自然の資源を凌駕してしまったのです。
収穫量の激増によって、持続不可能な伐採方法が進み、地域に共生する他の植物までとばっちりを受けました。
1930年代半ばまでにメキシコのサポジラという木の少なくとも4分の1が枯れ、科学者たちは40年以内に森林が完全に枯渇すると予想したのです。
木にとっては幸いなことに(しかしラテンアメリカの経済にとっては不幸なことに)、チューインガムメーカーはすぐに石油やワックスなどを原料とする、安価な合成ベースに切り替え始めました。やがて1980年には、アメリカはメキシコからチクルを一切輸入しなくなったのです。

しかし現在、チクルは少しづつ復活しつつあるようです。
今年、英国でChiczaというメキシコの小さな会社が、環境に配慮した「The world's first biodegradable chewing gum」(世界初の生分解性チューインガム)というものを売り出したばかりなのです。
この新しいガム製品を米国で見つけた人はいるでしょうか? もしまだなら、そう遠からず、どこでも見られるようになるかもしれませんね。



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