2020年12月7日月曜日

健康のためのハイキング

冬こそトレッキング



 私の住むハドソンバレーという地域は、たくさんのトレッキング・コースがあり、春夏秋と多く旅行客が訪れます。見晴らしが良好で、いろんな絶景スポットなどがSNSなどで紹介されて以来、続々と人が詰めかけるようになりました。
 私が移住した16年ほど前は、それほど有名ではありませんでした。季節のいい日のブラりと出かけて、半日あまり歩いたり、バーベキューしたり、ピクニック気分でのんびりできました。
 昨今は春から秋にかけて大変な数の人々がトレイルに殺到するようになり、のんびり歩く感じではなくなりました。もちろんマイペースで歩けばいいのですが、私は景色のいいところで立ち止まって瞑想するのが好きでした。
 わいわい仲間と楽しんで歩くのは結構なのですが、ゆったりした時間は望みにくくなってきたのです。
 今年は特にコロナの影響で、トレッキング・コースの入り口にもマスク着用の要請書きが貼られていたりして、なんだか落ち着いて歩けるような感じではありませんでした。
 都会からの来客が多いのは、きっとコロナによるストレスから逃れて解放的な気分を味わうためでしょう。ここはマンハッタンから電車で小一時間で来れる手軽な観光地です。しかしここにも人の波が押し寄せているわけで、そうそうゆったりくつろげる環境ではなくなってしまいました。
 12月になってようやく寒気が到来し、観光客の数は減ってきました。ようやく地元の人もゆっくり野山を散歩できるようになってきました。
 わたしも夏場は人込みを避けて、細い一本道のトレイル・コースは避けていたのですが、昨日久しぶりにBeacon Mountainという小高い山を中腹までひとりで歩いてきました。樹々はすっかり葉を落とし、冴え冴えとした青空が目に沁み、山のオゾンをたっぷり吸いこむ事が出来ました。
 ちょっと寒いですが、山道を歩くとすぐポッカポカになります。12月末にはこの辺りも連日氷点下になりますから、今が絶好のトレッキング・シーズンです。ここいらはお年寄りや幼児にもやさしい平坦なコースから、峻険な岩山をロッククライミングできる本格的コースまで豊富に揃っていますので、興味のある方はいちどチャレンジしてみてはいかがでしょうか。


 ハイキングは、日常の慌ただしさから逃れるためのレクリエーションで、アメリカでも老若男女たくさんの人々が楽しんでいます。ハイカーは、新鮮な屋外の空気、開放的な空、自然の景観の美しさを堪能するだけでなく、体を鍛え心をリラックスさせる優れた運動にもなります。体調が良ければ、だれでもハイキングに参加できますが、初心者は何を注意し、どのように準備するかを知っておく必要があります。
 これからハイキング・トレッキングを始めようという方に、いくつかのアドバイスをさしあげたいと思います。



1. 適切なトレイル選択

 ハイキングが初めての人は、自分の能力と体力レベルに合ったトレイルを選ぶ必要があります。必要に応じて立ち止まって帰ることができる場所にある簡単なトレイルから始めることをお勧めします。最高のトレイルを決定するには、距離と標高の両方を考慮する必要があります。参加者が平地で歩ける距離よりも少し短い距離をハイキングします。ハイキング時間を決めるには、時速2マイルを目安にします。最初は標高の低いトレイルを選び、タイムテーブルを計画する際には、標高が1,000フィート上昇するごとに1時間の時間を追加します。



2. トレイルに慣れる

 トレイルを始める前に、地図やGPSを使ってトレイルに慣れておきましょう。また基本すべてのトレイルは、色分けされたタグが木に貼られており、コースの要所要所でタグを確認しながら歩くことになります。デジタルマップは、ハイカーが自分のルートを選択できるように、オンラインで見つけることができます。事前にトレイルの状況、水源、キャンプ場を調べたり、リラックスできるスポットや寄り道を見つけておきましょう。またトレイルの評価や、ハイカーが迷子になったりする可能性のあるか、データを調べることも重要です。
 多くのトレイルの入り口には、地元で作った地図やガイドがあるので、参考にしましょう。


3. 天気をチェックする

 ハイキングが初めての人は、とうぜん悪天候の中での出発は避けるべきです。初心者に適した天候を確保するために、ハイキングの数日前と数時間前に天気予報を確認しましょう。予報で悪天候が予想された場合は、スケジュールをキャンセルしたり延期したりする準備をしておきましょう。


4. あなたがどこにいるかを誰かに伝える

 理想的には、ハイキングに慣れていない人は、経験豊富な人と一緒に行くべきであります。独りぼっちとか、慣れない人同士も避けたいです。それでも行きたい場合は、常に目的地を含め、計画について、家族や友人に
予定の場所、時間を報告しておきましょう。ハイキングは予想以上に長くかかることがありますので、連絡手段も確保しておくことが望ましいのです。


5. 10個の必需品を詰め込む

 これは本格的なハイキングに取り組む人への指針ですが、しばしば10個の必需品ということが語られます。
10個の必需品とは、すべてのハイカーが安全を確保するために持っていくべきものです。
 それは、「地形図とコンパス、日よけ、断熱材、イルミネーション、応急処置用品、サバイバルツール、火起こし材、食料、シェルター、水」です。多いように思われるでしょうが、これがいざという時に身を守る最小限のアイテムとなります。コンパクトに詰め込めばリュックサック一つに余裕で入ります。これらは季節やハイキングの状況に応じて調整することになります。もちろん初心者の方にも参考にしていただきたいです。


6. 靴の選択は慎重に

 
心者はしばしば間違った靴を履いていることがあります。アメリカでもたまにバイク用のブーツなどで歩く人を見かけますが、あれは長時間歩行には向きません。やたらごっつい登山靴も見かけますが重量の負荷は時間とともに加わってきます。ある程度軽快に歩ける軽量タイプの方が、足に負担をかけません。ソールのクッション性能と、靴底のグリップ具合が適度に効くものをお勧めします。それから靴下も、できれば合成素材やウールで作られた靴下のほうが適していると言われます。



7. 着るもの

 ハイカーが着るものは、靴と同じくらい重要です。山地は場所によっては湿度、温度が急変化しますので通気性の良いものを選ぶべきです。密閉性が高すぎると、発汗により体調を崩す場合もあります。特に夏に暑いと寒く、湿った条件で寒くなる性質の綿主体で作られた衣類は避けたほうがいいです。ウール、ポリエステル、ナイロン、フリースなどの生地でできていて、丈夫なものを選びましょう。必要に応じて着脱ができるように、薄めの重ね着をお勧めします。


8. 軽やかに

 本格的なハイキングとなると、けっこう多くの物資が必要になってきます。特に初心者にとっては、本当に軽くすることが難しい場合があります。経験豊富なハイカーほど、必要なものや不要なものを熟知していますが、ハイキングが初めての人は、安全性と快適性を第一にしてください。それぞれ必要なアイテムを旅行用に小さくしたものを選ぶことで、パックを軽くすることができます。


9. 痕跡を残さない

 地元に住む者として、旅行者の遺留品は目に余ることがあります。ごみを平気でポイ捨てする人は言語道断ですが、一歩進んで、ごみを持ち帰る習慣を付けましょう。日本人の多くはこのことをよく理解しているはずですので多くは語りませんが、もしいっしょにほかの人が同行するなら、いい模範を見せてあげましょう。この環境に対する考え方は、アメリカでもまだ様々ですが、少なくともハイキング・トレッキングを楽しむためには、この環境に対する心配りは一番大事なことだと思います。
 アメリカでも趣味でトレッキングする人の多くは「自分の存在の痕跡を残すな」などと言います。まるで忍者のような言いようですが、それくらい自然に配慮する心構えが必要だということでしょう。もうひとつ付け加えるなら、ハイカーは自然の一部を持ち出すことにも適切な配慮が必要です。

 これらのことは、決して難しいことではありません。ルールを守って楽しいトレッキングを始めてみてください。

2020年12月6日日曜日

英訳されてる日本の現代小説

 アメリカで読まれる日本小説



 先日、National Book Awards(全米図書協会)の翻訳小説部門で受賞した柳美里氏。一瞬にわかに日本の小説が脚光を浴びた印象です。受賞作「JR上野駅公園口(Tokyo Ueno Station)」は現代日本の矛盾点を鋭く抉る快作として高く評価されたようです。


 選評では「主人公の目を通して、いかに東京の日常が彼を圧迫し、喪失と不平等と抑圧がいかにして死に向かう運命に渦巻いていったのかが描かれている。主人公の個人的な物語の詳細が、奥深い細やかな描写で語られていく。日本で最も輝かしいアウトサイダー作家の一人による力強い傑作。本作は、現代人のための本であり、グローバルな巨大都市東京の中で疎外された存在を描写しきっている」と絶賛。海外からは繁栄に沸く日本のイメージがいまだに根強い中、リアルな日本の底辺を描いて、アメリカ人にも刺激を与える結果となった模様です。
 これを機に彼女の作品がアメリカでも多く紹介されるといいですね。

 その他の日本の優れた小説も、今後どんどん英訳されていってほしいとも思います。こと文学に関して日本の対米関係はほとんど一方的な輸入一辺倒で、アメリカで日本小説のベストセラーなどはまだまだ遠い夢のようです。一つには翻訳の問題があるのかな。日本の込み入った文学的表現を、ニュアンスを変えず英語化するのは至難の業かもしれません。翻訳する人の人材不足ということもあるでしょうし・・・。

 とにかく、アメリカではまだまだ日本人作家の大半は認知されていません。

 ご存じのように毎年ノーベル文学賞の候補に挙がる村上春樹氏の一人勝ち状態が長く続いています。極端な話、アメリカでは村上春樹以外の日本人作家って誰も知らないんじゃないでしょうか。なんて・・・。

 いやいやさすがにそこまではいきません。近年じわじわと英訳されはじめ、読まれている作家さんも少しはいます。

 例えば吉本ばなな。英訳された本は電子書籍もふくめて20点以上出されています。日本同様「キッチン」が大評判となって以来、多くのアメリカ人ファンが彼女の新作を待ち望んでいます。独特の語り口をうまく英語に移し替えて翻訳のレベルも高いそうです。


 ニューヨーク・タイムスの辛口書評で知られる角谷美智子氏からも「吉本さんの文章は明晰で、真面目で、心を揺さぶるものがあります。読者の共感をつかんで離さない」と絶賛されています。

 一般のアメリカ人のレビューも共感型が多く「これは私が今までで一番好きな本の一つです! 素晴らしい青春物語で、私は一生そばに置いておきたいと思っています。多くのことが語られていて、本当に心地よくて素晴らしい本です。吉本さんの文章は、主人公のことを探りながら、正直で、地に足のついたものになっています。私はすべての登場人物と彼らの物語が大好きです」などと大絶賛。国籍を超えたシンパシーを得られる魅力を持っているようです。

 次に桐野夏生。2004年に日本人女性作家として初めてアメリカ・ミステリー賞の最高峰エドガー賞の最終候補にノミネートされ話題となりました。じっさいこの時候補作の「OUT」はアメリカのミステリー小説界でも話題となりかなり売れました。 批評家受けもよく、「アウトは、日本女性に関する固定観念を打ち砕きながら、日本社会の暗い側面を興味深く観察している」とか「この小説は読む者の心を引き裂く恐ろしさがあり、アメリカの小説界では類を見ない」などと評価されました。


 受賞こそ成らなかったものの、この一作により桐野夏生はアメリカの読書界に一定の評価を得て、以後つぎつぎと英訳し出版されるようになりました。


 ミステリー界では東野圭吾の作品も人気があって、かなり翻訳が進んでいます。日本でも映画化され大ヒットした「容疑者Xの献身」が英訳されてクリーン・ヒットしたのはまだ記憶に新しいところです。英語タイトルは「The Devotion of Suspect X: A Detective Galileo Novel」。米アマゾンの評価でも999点で星4.5。傑作レベルの高評価を得ているのです。


「これは普通のスリラーではない。これまで読んだ中で最も知的で魅力的なスリラーの一つだ。数学者と物理学者という二人の天才の心理戦です。どちらが勝つか?どちらが賢いのか?愛と真実、どちらが勝つのか?この一冊を見逃すな。心理スリラー好きの方は必読です」
「この本は、最初からとても興味を惹かれます。言わば逆殺人ミステリーで、とても楽しく読めました。東野さんにはもっと英語に翻訳された本を出してほしいと思います。プロットが複雑で、不思議な気持ちにさせてくれます」などなど評判も上々です。
 これ以外にもガリレオ・シリーズの「真夏の方程式」や「聖女の救済」、また「新参者」「白夜行」などもよく読まれていて人気のほどが伺えます。

 翻訳という大きな壁はありますが、ミステリーや人間の心理、葛藤を描く物語は、時に国境を越えて共感を呼ぶ場合もあります。なので、ぜひとも良作が読みやすく訳されて、アメリカの書店に並ぶ日が来てほしいと思います。日本にはまだまだ魅力的な作家の作品がありますからね。

 

2020年12月5日土曜日

クリスマス・ツリーの購入

 町はクリスマス・モードに突入



 今年もはや12月。ここニューヨークもすっかり秋から冬へと装いを変えています。カラフルだった樹々はすっかり枯れ落ち、灰色の枝や樹木ばかりが目立ちます。いや場所によってはエバグリーンと呼ばれる針葉樹が鬱蒼とした深い森を形成しています。夏場、気が付かなかった樹木の植生範囲が浮彫に見えてきたりして興味深いです。ニューヨーク郊外はいたるところにまんまクリスマス・ツリーの形をした針葉樹が立ち並び、雪でも降るとそれはもういい風情に見栄えします。

 マンハッタンでは毎年恒例の、ロックフェラーセンターの巨大ツリーの点灯式が行われました。点灯式には毎年数万人の人だかりとなるのですが、今年はコロナ対策で見物は不可となりました。代わりにテレビの全国ネットで式典は放映されましたが、やはり盛り上がりには欠けてしまった模様です。それでも通りの外から光に包まれた25メートルの巨木を見てみると、いよいよ来たかって、やはりシーズンの到来を実感させられます。

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 いま町のあちこちでは、本物のクリスマス用の樹木が売られています。我が家も毎年、この本物のツリーを買って家の中に飾るのが習わしとなっております。子供のころは組み立て式のプラスチックのツリーで満足していたのですが、渡米し、一度本物を飾り出して以来、もう病みつきとなりました。



 家の中にずっしりとした樹木があるだけで雰囲気ががらりと変わります。部屋にほのかな樹木の香りが漂い、外から帰宅するたびにほっと心がなごむのです。売っている人に聞くと、どうやらそれだけではなく、気分を中和させるイオンが発生するので、心が落ち着くのだそうです。見ても眺めてもやさしい深緑色で目の疲れもいやし、緊張を緩和させてくれるのだと思います。

 一口にクリスマス・ツリーといっても幾種類かあって、私は毎年迷うのですが、今年は香りの強いフレイジャーといいうもみの木にしました。枝ぶりもよく、ボリュームがあって、枯れにくいのが特徴です。ここ数年はショッピング・モールに隣接した駐車場を借りた特売場で購入しています。樹木の大きさや種類によって価格も様々ですが、我が家は天井の高さに合わせて、だいたい二メートル弱のものを買いました。選定にあたって、注意する事はいくつかあります。

1 幹がまっすぐ伸びていること。

2 枝が円錐状に、360度均等に生えそろっていること。

3 葉が乾燥しすぎて枯れかけていないか。ちょっと振ってパラパラ落ちないか。

4 いい香りがするか。

5 てっぺんの枝がまっすぐで、付近の小枝もバランスよくついているか。

6 色合いがほかの木と比べて褪せていないか。

 こんなところを厳しくチェックしたうえで、今年も選びました。店にはまだたくさんの樹々が販売されていましたが、なるべく早めの購入をお勧めします。クリスマス当日直前だと、いい木は売り切れ、どこか問題のある木しか残らなくなります。いい状態のものを買いそびれて後悔した年が何度かありましたので、早いに越したことはありません。



 こうして苗木から育てたクリスマス用の木は、切ってから数週間は鮮度を保てるよう育てたものです。なので買ってすぐ家に飾ってもよいのですが、私はクリスマス当日に木が元気でいてほしいので、持ち帰ったら裏庭の小屋の陰に立てかけておきます。そうしてクリスマスの4-6日前にうちに迎え入れます。その際、のこぎりで幹の末端を5センチほど切ります。切りたての幹部分の細胞が活性化し、水分を求めるようになります。用意しておいたツリー用の土台に水を張ってそこに立てかけると、木は息を吹き返したように、水を吸い始めます。

 2リットルほどツリーの土台に水を注いでも、翌朝には半分ほどに減ります。収縮していたツリーがみるみる精気を取り戻し、枝葉がふっくらとしてきます。香りもふんわり部屋を漂い始め、いやがうえにもクリスマス気分が盛り上がってくるのです。

 我が家ではイブの日に、家族みんなでツリーにオーナメントを飾り付けます。うちはみんな趣味が違って年々デザインが変わります。私は子供のころの思い入れが強いので、金銀輝く玉やラメの効いた綿雪を配するのが好きです。家内はすべて木製の飾りで統一したいタイプで、枝には小さなサンタやトナカイ、雪だるま、森の妖精などを飾ります。クラシックな雰囲気が出て、ちょい地味ですがいい感じになります。子供たちは毎年気分によって、プラスチックのつららを付けたり、雪の結晶を模したオーナメントを手作りしたりしています。

 こうやって毎年オリジナルのクリスマス・ツリーを作るのが我が家、というかアメリカの家族の習わしです。ワイワイ言いながら家族共同で作業する。こんな機会はめったにないので、とても楽しいひと時なのです。

 人工のフェイクツリーもいいですが、一度は本物のツリーを飾ってみてはいかがでしょうか?

2020年12月4日金曜日

デカいよ、アメリカの玩具

 大きすぎるオモチャたち


 先日ウォルマートのおもちゃ売り場のバカでかいクリスマス・ギフトの一部をご紹介しましたが、まだまだあります、日本とはちょっとスケールの違うおもちゃの数々。クリスマスは賑やかなほうがいい。それは分かります。はいそれは十分理解できるのですが、あまりに大盤振る舞いが過ぎて、お子さんたちがアップアップするほどの大スケールのプレゼントをあげ過ぎじゃないですか? 余計なお世話でしょうが、ついそんなことをつい思ってしまう、巨大なおもちゃの数々がありました。ご覧ください。


 はい、キリンちゃん。子供たちに大人気の動物ですが、ぬいぐるみにすると、やたらタテに長くて目立ちます。でも不安定ですぐ倒れちゃいそう。ウマとかも同じで、結局は子供のベッドで横倒しのままになる運命のようです。




 うわ。アメリカで娘さんへのテッパンな贈り物と言えば、テディベアに止めを刺すのですが、なにも大きければいいってもんじゃないでしょう。どこに置いておくの? それでも親は子供がびっくり目をまるくして喜ぶ姿を見たいばっかりに、こんなジャンボなものにまで手を出してしまうのです。私もかつてこれほどではないけど、何度かバカでかいクマちゃんを買った経験があるので、つい余計なアドバイスをしたくなってしまいます。




 2ー3歳の男の子なら必ずウケるのが巨大なヒコーキです。これはほぼ間違いありません。いとこの子にも大きめのブリキのジェット機を買ったことがあります。この絵のおもちゃは、なかにミニカーを蓄えるのが特徴で、のちのち車を買い足さねばならない仕組みです。これもデカけりゃいいってものじゃないと思うのですが・・・。




 いやもっと厄介なのがこの巨大ブロック・トイです。ひとつひとつのピースがデカすぎ!200個もブロックがセットになっているのですが、何を作るにも一苦労です。遊び終わったら片付けも大変で、収納にも困る厄介者にもなりかねません。ご購入の際はぜひ熟慮のほどを。





 場所を取ると言えば、女の子の夢の詰まったドールハウスも困ったサイズ感のものが多いです。いくらアメリカの家が大きいとはいえ、こんなもの子供部屋に置いたらほか他のことができないでしょう。しかし毎年次々と巨大な新しいデザインのドールハウスは増え続けているわけで、この人気商品のとどまるところを知らぬ勢いには脅威を感じます。




 もう一個、坊やのバンザイなトイをご紹介しておきましょう。みなさん見たことあると思いますが、アメリカで昔からあるおもちゃで、「4-To-Score」というものです。円盤形の駒をストンと落として同じ色を並べたものが勝ちという単純な五目並べみたいなものです。それれがなんでこのサイズになっちゃうのでしょうか? これおもちゃ屋さんで定価$250します。買った当初はワイワイ遊ぶでしょうが、保証します。スグ飽きます。そのあとどこへしまうんでしょうかね。この大きさ、もはや意味不明です。






 部屋に入りきらなくてもアメリカのキッズは困らないものもあります。たとえばこの電動四輪バイク。普段はパパのクルマの隣に並べてガレージに入れればよいのです。こういうのを買うお家の庭はたいていだだっ広いので、親がよく監視さえすれば、庭を勝手にぐるぐる走り回ってくれるのです。お高い買い物ですが、スゴく喜ばれるボーイズの夢が詰まっています。

 ちょっとマニアックな子供にはトラック・タイプがいいでしょう。男の子にしかわからない、ごつごつ大きく、いかついものが好きな坊やってけっこういますよね。でもこれくらいはまだかわいいもの。
 お次は少々寒気さえ感じる、ボーイズの夢マシンです。
 
 あーあ、本当に射撃できますよこのタンク。大砲とマシンガンの二段射ちです。こんなちっちゃい頃から、裏庭を戦場に見立ててシミュレーション・バトルですか? さすがアメリカですね。近所を見回してみればミリタリー大好きキッズの多いこと。こういう家族に限ってパパも普段から迷彩デザインのシャツやパンツ履いてたりします。この親にしてこの子あり。長じて武器マニアなんぞになるようなことは、ぜひとも避けてほしいと願うばかりです。

 ちょとビビったところで、最後は少しほほえましいものをご紹介します。




 トランプでかっ! お嬢ちゃん楽しそうですが、それどうやって遊ぶの? そもそもカード切ろうとしてもシャッフルできんでしょ、この大きさでは。ぺらぺらとはいえ52枚揃えると持つのも大変そう。買っても来年はドネーション行き確定グッズですねー(笑)。


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 去年閉店してしまったトイザらスのアメリカ店には所狭しと、巨大なおもちゃがひしめいていたものです。うちの子供たちにも喜んでもらおうと、大きなテディベアを買ったのはなつかしい思い出です。娘が大きくなって置き場に困っているのですが、いまだに部屋の片隅でほかのぬいぐるみたちと一塊になってうずくまっています。大きいし愛着があるし、手放すに手放せないという感じでしょうか。

 アメリカで、小さな子供のたくさんいるお家はどこも同じような悩みを抱えているのではないでしょうか。とにかく大きなオモチャは、そのときは喜んでくれるけど、飽きたら放ったらかしというケースも多いのです。買う時は後々のことを考えて慎重に選ばないと、えらいことになります。

 うちはニューヨーク郊外の小ぶりの一軒家で、日本よりは少しスペースもありますが、それでもおもちゃは子供部屋には収まり切らず、屋根裏に押しこんでいるものも結構あります。夏場しか使わない子供用サーフボードや、冬限定のスキーやそりもやたらと場所を取ります。ここにさらにクリスマス・プレゼントの歴代おもちゃが加わると、もう足の踏み場もないほど屋根裏を占拠してしまうのです。年を追うごとに取捨選択して、ドネーションに回すか、粗大ごみとして処分するか悩みが増えていきます。

 なのでいまアメリカのおもちゃ売り場を見ると、これ買ったら先行きたいへんな事になるぞ、と他人事ながら余計な想像ばかり膨らむのです。


 というわけで、アメリカでは国の大きさに見合ってなのか、このシーズン、やたらデカすぎるオモチャが目立ちますよ、というレポートでした。

 でもクリスマスは年に一度のビッグ・プレゼントの日なのですから、これ以上野暮なことは言いますまい。せいぜい大きなオモチャを与えて、ビッグな子供に育てていってください。消費大国アメリカバンザイです。でもエコのこともしっかり考えてね。サムズアップ・アメリカ! こらからもよろしく!

2020年12月3日木曜日

買ってよかったカメラ

 後悔しない富士フィルムのカメラ


 この秋に購入した富士フィルムのミラーレス・カメラX-T200、予想以上の写真が撮れてとても満足しています。この機は入門機という位置づけの通り、初めてミラーレスに触れる人や、一眼カメラの初心者にもってこいです。とにかく最初はオート設定で、目に入る撮りたいものに集中するだけ。それでもいままでスマホ写真に見慣れてきた人には、びっくりするくらいのい写真が撮れるはず。



 X-T200はまさにビギナーにうってつけの一台で、のちのちレベルアップすれば、豊富なフジノン・レンズを買い足して、さらなるスキルアップが望めます。まずはこれ一台。これ一台で十分納得のいく撮影が楽しめること請け合いです。



 カメラの操作法がわからないとか、とにかくややこしいことは抜きにして、スマホでは撮れないようなきれいな写真を撮りたい、という方にも是非おススメしたいです。



 なぜ富士フィルムなの?

 という方。わかります。デジカメの世界ではまだどうしても知名度が低い印象ですよね。

 若い人には、フィルムメーカー時代の富士フィルムと言っても知っている人は少ないかもしれません。カメラがデジタルにシフトして、大手のキャノン、ニコンがデジタルカメラの発展をけん引してきましたが、ミノルタがカメラ事業から撤退したのを受け、ソニーがデジカメ開発を始めると、競争は一気に激化しました。棲み分けも進み、オリンパスとパナソニックはマイクロフォーサーズという新しいフォーマットを切り開きました。カシオとフジフィルムはいわゆるコンパクト・デジカメの領域でシェア拡大を狙いました。

 しばらくはこの図式でカメラ業界は進行していたのですが、iPhone等のスマホカメラの進化が著しく、カメラ業界のシェアは瞬く間に奪われはじめました。

 これを受けて、カメラメーカーはより高性能なフルサイズ・ミラーレスへと大きく舵を切ります。スマホを圧倒する高性能でないと生き残れないとの危機感からでしょう。ここ数年でフルサイズ規格のカメラは一気に開発が進み、カメラマンや写真愛好家たちはもっぱらハイエンド機ばかりに耳目を奪われるようになりました。実際、出る機種はどれもこれまでにない高性能を打ち出してきており、発表と同時にネットでわっと騒ぐのが恒例となっています。

 しかしこれでは一般のカメラに親しむ人たちは置いてけぼりです。カメラは高性能がいいに決まっていますが、精密機械ですのでやはり値がはります。30万、40万するのが当たり前の世界です。またそれに見合うレンズもすごく高価なものとなってしまいます。しかしこれではますます大衆はカメラから遠ざかり、手近なスマホのカメラで十分と思うようになってしまうでしょう。

 そこに目を向けたのかどうかは分かりませんが、フジフィルムは近年路線を改め、プロ向けの中判サイズのセンサー機と、APS-C機中心のコンシューマー向け製品製造に的を絞るようになりました。この戦略はすごくよかったと思います。ソニー、キャノン、ニコンのハイスペック競争には乗らず、独自路線を展開することにより、かえって商品のラインアップが独自性を帯び明確化してきました。

 いまや同社のAPS-C機の品ぞろえは業界随一で、ハイエンドから中級機、ビギナー向けまで選択に迷うほどバラエティに富んでいます。また豊富なレンズ資産も、最初は高い印象でしたが、ボリュームが増えるの従い、ユーザーに見合った選択の余地が出てきたことはファンにとっても喜びであります。

 私はこれまで、フジのカメラとはあまり縁がありませんでした。二十年近く前、コンデジ草創期に買ったのがファインピックス2600Zです。卵型のレンズカバーがスライドしてレンズが出てくる画期的なものでした。有効200万画素、1/2.7型正方画素原色フィルターCCD、換算38mm~114mm相当のフジノンズームレンズを使用。電源は単3型電池2本、記録メディアはスマートメディアで、2001年10月に発売されたものです。当時としては最新の技術を駆使したスタイリッシュで可愛いコンパクト・デジカメでした。


 わたしはこれが好きで、どこへ行くにも持ち歩き、日常の記録スナップ用として撮りまくったものです。いま撮った写真を見返しても、それなりに鮮明な画像で、描写性能は当時としてはかなり良かったのだと思います。

 あれから時は流れたものの、いままた富士のカメラに心奪われるようになるとは思いもしませんでした。私は以前からカメラは携帯性こそ命と申してきました。いくら高性能なカメラでも撮りたいときに手元になければ意味がありません。重くて大きな高級カメラは日常持ち歩くには不向きで、仕事としてカメラを撮るのでなければ、宝の持ち腐れです。軽いと言われてきたキャノンのEOS KISSでも持ち出しは「撮影する」と目的を持ったときのみでした。皮肉なもので、手元にカメラがない時に限って撮りたい被写体が現れるものです。それなら携帯性に優れかつ常識の範囲でそこそこ写りの良いカメラを求めるほうがまだ有用性があると思うのです。

 しかしなかなか期待通りのカメラは長らく出ませんでした。やっといいなと思えたのはソニーのRX100が出た時ですが、その頃はネオ一眼と呼ばれる超望遠コンデジのブームで、そっちに目が行き過ぎていました。画質はともかく遠くのものを引き寄せるような表現力がたまらなく好きで、そっち系のカメラばかり見ていたのです。富士フィルムからもFinepix S1という50倍ズームで防塵防滴仕様のフィールドカメラが出てかなり刺激を受けたものです。でもその当時は最終的にパナソニックのFZ1000を選ぶことで大満足していました。高倍率でなおかつ1インチセンサー、しかも当時画期的だった4K撮影ができるというのが決め手でした。しかし反面その大きさゆえ、常時持ち出しとはいかず、けっきょくのちにポケットに入る高級コンデジ、ソニーのRX100 VIを手にいれることになります。こちらはズーム8倍と控えめながら、いざという時にストリートでパッとリアクションで撮れる器用さがすごくうれしかったです。

 その後もごく私的なこだわりで「軽量小型」と「高倍率」のはざまでいろんなカメラを行ったり来たりしています。今話題のフルサイズで小型という夢のようなカメラにも注目はしています。ソニーのa7Cなどはフルサイズの常識を打ち破るコンパクトさで大注目しています。しかし望遠にこだわるとフルサイズのレンズはどうしても大きく重くなるので二の足を踏んでしまいます。私を含め大多数を占める一般ユーザーというのはそれほど画質云々にこだわりませんから、なるべく軽いカメラがいい、というのはごく当然の心理です。

 ここ数年、軽くて小型の条件を満たし、かつ望遠に強いと言われるマイクロフォーサーズ機に注目してきました。一時的でしたがオリンパスのPENシリーズも使っていましたし、パナのLumix G8は今でも最高のパートナーです。

 そんな中でいま見直されるのがAPS-Cというセンサーサイズです。これがミラーレスになると、いままでの一眼の3分の2の体積、約半分の重量のカメラが製造可能になりました。いま売れてるソニーのa6000台シリーズやキャノンのEOS Kiss Mがそれです。こうなるともはやマイクロフォーサーズの小型軽量の有利性もかすんできます。

 こういった状況に乗じて(かどうか知りませんが)じわじわ頭角を現してきたのが富士フィルムのXシリーズです。

 ライバルメーカーとの差異はいろいろありますが、「ウリ」の第一はやはりフィルム・シミュレーションでしょう。これが実によいです。長年フィルム制作にこだわってきたフィルムメーカーならではの色味。これはいくらいいレンズを使っても出せない別次元の描写力だと思います。何気なく撮った風景写真が、「おっ」と驚くほど素敵な発色をしてくれる瞬間。それが魅力なのです。

 いろんなカメラで撮ってきましたが、このような思いもよらない仕上がりの絵に出会うことは滅多になかった事です。「俺、腕上がったかも」と錯覚にとらわれるほどのいい気分です。エントリー・クラスのX-T200でさえここまで撮れるのですから、フラッグシップ機のX-T4などはもっといい出来に違いありません。

 最近発売された新しいシリーズの第一弾X-S10も好評のようです。上位機種と同じセンサーにボディ内手振れ機構を収め、なおかつ深いグリップに軽量小型とくれば、もう買いしかないです。(本当に買いたい。でもX-T200買ったばかりだし・・・)。


 私的には「レンズ高くて重い問題」が引っかかるフルサイズは当面パスして、ミラーレス・APS-Cの土俵でどのメーカーが覇権を握るか見守っていきたいと思っています。私の中では今のところ、フジフィルムの伸びしろに期待しています。ていうかこれからどんどん攻勢をかけていくのは間違いないでしょう。本当に楽しみです。



 ともあれ、もしこれからカメラを始めたい方、いま手持ちのカメラがイマイチという方に、フジフィルムのX-T200は絶賛でおススメしています。ムズイことはいいからとにかくいい写真とりたい。それならX-T200です。間違いありませんよ。




   


2020年12月2日水曜日

米国で学ぶ東洋の哲学

 瞑想に惹かれるアメリカ人



 アメリカの大学やカルチャー・スクールで禅や瞑想、ヨガなどを学ぶアメリカ人が増えています。これまでにも何度かブームはありました。よく知られるのはベトナム戦争が行き詰まったころ、一部の若者を中心にアメリカ国内が内省的になり、別の生き方を求めるようになりました。ヒッピーと呼ばれる人たちは、マルクス主義思想や毛沢東の教えも模索しました。インドのヨガを取り入れたり、ネイティブインデアンの教えも探し求めました。孔子の儒教も学ぼうとしました。そんな中で日本の武士道や禅の思想も広く世間に知られるところとなったのです。当時は一般的な文献は極めて限られており、日本人や中国人、あるいは東洋へ渡航して帰ってきた人たちからの口伝形式がとても貴重な学習源だったようです。しかしそれは必ずしも正確に伝わらず、曲解されたものも多かったようです。

 そのあとを受けて、さらに深い思想・思索を求める学術的な探求の試みが始まりました。ニューエイジ・ブームと呼ばれる運動は、音楽や絵画、映像、造形美術から身体機能を高めるエクスサイズのような形も出てきました。勿論ヨガも本格的なスキルの要求から、本場インドから本物の行者、チベットから修行僧まで招いて、本質的な理解を得ようと突き進んでいったのです。このころ東洋思想を学んだ学生の中から、のちに成長して大学で東洋思想の教鞭をとるようになった先生方がアメリカにおけるアカデミックな東洋思想教育をリードしていきました。

  いまアメリカの若い世代の多くは、東洋思想についても多くの情報が氾濫する中、いろんな要素を取り入れて、新時代のフィロソフィーを模索しているように伺えます。

 それではアメリカ人はどのようなテキストで東洋思想を学んでいるのでしょうか。例えば以下のようなガイダンスがアメリカのカレッジなどで平均的に用いられるものです。


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 東洋哲学は常に西洋哲学と非常によく似た目標を持っていました:私たちをより賢くし、動揺しないようにし、より思慮深くし、自分の人生に感謝するために読みやすくするということです。しかし、その探求の筋道は驚くほどに異なっています。東洋では、お茶を飲む儀式、竹林を歩くこと、川を眺めること、花を生けることなどの儀式を通して、哲学の教えを教えてきました。ここでは、大陸特有の知恵を提供し、哲学とは何かについての私たちの考えを豊かにしてくれるアイデアをいくつか紹介します。



1 人生とは苦しみである 
 ブッダの最初の、そして中心となる「高貴な真実」は、人生とは必然的に苦しみを伴うものであるということです。セックスは私たちを失望させ、若さは失われ、お金は私たちの痛みを免れないでしょう。仏陀のために、賢明な人は、存在の平凡な混乱と完全に自宅で成長するように注意する必要があります。彼らは、自分たちが糞山の上に住んでいることを理解する必要があります。卑屈さと悪意が頭をもたげても、それは完全に打ち負かされた希望を背景にしたものでなければならないので、不当に失望させられて、自分の信頼を裏切られたという感覚はない。とはいえ、お釈迦様は驚くほど明るく、一般的には人を惹きつけるような温かい笑顔をしていました。これは、彼の方法で来た素敵なもの、甘いもの、楽しいものは、すぐにボーナスとして経験され、彼の元の荒涼とした敷地に深く感謝していたからです。 人生の暗い背景を常に念頭に置いておくことで、彼はそれに対して目立ったものは何であれ、彼の評価を研ぎ澄ました。彼は私たちに明るい絶望の術を教えてくれる。


2 慈しみ(
Mettā)
 Mettāはインドの言語であるパリ語で、ベネヴォレンス、優しさ、優しさを意味する言葉です。仏教では最も重要な考え方の一つです。仏教では、この考え方を養うために、毎日の儀式的な瞑想を推奨しています。瞑想は、毎朝、イライラしがちな相手や、攻撃的で冷たいと感じている相手を注意深く考えることから始まり、通常の敵対的な衝動の代わりに、「あなたが平和を見つけられることを願っています」や「苦しみから解放されることを願っています」などの優しいメッセージへと昇華していきます。この練習は、最終的には地球上のすべての人を包むように、外側にむけて拡張させていきます。背景にある前提として、人々に対する私たちの感情は固定されたものではなく、変えられないものではなく、適切な後押しがあれば、意図的な変化や改善の余地があるということであります。「思いやりの心」は学ぶことのできるスキルなのです。



3: 観世音 
 観音様は、慈悲、思いやり、優しさに強く関連付けられている東アジアの仏教の聖なる女性像です。彼女はカトリックの聖母マリアのように、仏教の中で同じような役割を占めています。中国全土に聖母マリアを祀る神社や寺院があり、海南省には高さ108メートルの聖母マリア像があります(世界で4番目に大きい像です)。極論を言えば、彼女は最も崇高な意味での「ミイラ」なのです。中国では、大人たちが彼女の前では自分が弱くなることを許容されます。彼女のまなざしは人を泣かせてしまう温かさがあります。人が泣き崩れる瞬間は、物事が辛い時というよりも、ようやく出会った優しさ、長い間黙っていた悲しみなどを認めるチャンスなのです。ただ観音自身はいかなる判断もしません。彼女はあなたが疲れていること、裏切られたこと、物事が簡単ではないこと、うんざりしていることなどを受け止め、ただ理解するのです。


4 無為
 努力をしていないという意味を持つこの言葉は、字義通り受け取ってはいけません。道教の哲学の中心にある(中国語の)用語です。それは最初に紀元前6世紀の賢者、老子のによって書かれた道教の文献で記述されています。無為は「努力をしない」ですが、「流れて行く」ことを意味するが、それはどのような方法でも怠惰を意味することではありません。それはむしろ、現実の要求に抗議するのではなく、現実の要求に応じることの必要性を賢明に認識した上で、意志を意図的に降伏させることを示唆しています。老子が言うように、賢明であるということは、時として「全宇宙に身を委ねる」ことを学ぶことです。理性は、私たちの願いが現実と取り返しのつかないほど対立しているときに、私たちの願いを計算することを可能にし、必要なものに怒りや苦言を呈するのではなく、進んで自分自身を服従させるように促してくれます。私たちは、ある出来事を変えることはできないかもしれないが、老子にとっては、その出来事に対する態度を自由に選択することができるのです。


5 知恵としての竹 
 東アジアが「竹文明」と呼ばれているのは、竹が日常生活に広く使われてきたからというだけでなく、その象徴的な資質が何百年も前から道教の哲学の中で記述され、称賛されてきたからです。驚くべきことに、竹は木ではなく草に分類されているが、背が高くて丈夫で、木立や林を作ることができる。木の幹とは異なり、竹の茎は空洞であるが、その内部の空虚さが生命力の源である。嵐の時には曲がって、時には地に落ちそうになるが、その後は弾力性を持って跳ね返る。老子曰く、「竹のようになりなさい」と。竹の最も偉大な画家は、清朝の道教の詩人であり、芸術家であり、哲学者でもある鄭謝である。鄭謝は800枚の竹林の絵を描いたと言われており、その中に賢者がどのように振る舞うかの完璧なモデルを見たといいます。 竹のペンとインクで描いた一枚の絵の横に、彼は優雅な漢文字を書いた。「山にしがみつき、断崖絶壁に根を張り、苦難の末に強くなり、四方八方から吹き付ける風に耐えろ」と書きました。それは竹に向けられたメッセージであるが、もちろん私たち全員に向けられたものでもあるのです。

6 金
ぎ 
 16世紀以降、日本の禅宗思想は、修復されたものが持つ特殊な美しさや知恵に生きてきました。「金ぎ 」とは、二つの考え方を組み合わせたものです。日本語で「お金」を意味する「金」と、「継ぎ手」を意味する「つぎ」です。禅の美学では、たまたま壊れてしまった鍋の破片は決して捨ててはならず、慎重に拾い上げて再構築し、金粉を使った漆で接着します。重要なのは、傷を目立たなくすることではありません。貴重な金の鉱脈は、破損にはそれ自体が豊かなメリットを持っていることを強調するために存在しています。私たちは皆、ある意味では壊れた生き物なのですから。修理が必要なのは恥ずかしいことではありません。修復されたボウルは、私たちもまた元の状態に戻り、明らかな欠陥があるにもかかわらず愛されることができるという希望の象徴です。





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 いかがですか? かなり奥深く踏み込んでいませんか? 私は率直にアメリカの東洋思想の理解もそうとう進化してきたなと驚いています。
「金継ぎ」などという細やかな精神性にまで着目されると、もはやシロウトの出る幕ではなさそうです。うかうかしていると、現代の日本人が失いつつある大切な魂の問題までアメリカ人に看破されるやもしれません。
 大事なのはココロの問題。学問じゃないから。と言い切ってもいいのですが、少しは勉強して理論武装する必要はあるのじゃないでしょうか。アメリカ人も勉強してますよ。
 

2020年12月1日火曜日

今が「買い」のノートパソコン

 サイバーマンデーに買うべきパソコン

 


 アメリカが発祥のブラック・フライデーに続いて翌週の月曜日はサイバーマンデー。サンクスギビングデーの休み明けに職場や自宅に戻った人が、パソコンで一斉にクリスマス・ショッピングを開始することから始まったと言われています。

 実際こういう呼び名になる前から、クリスマス商戦が始まるのはこの月曜日からでした。なので、それが店舗での買い物からオンラインショッピングにシフトしただけのことです。とはいえその影響は少なからず、売る側は年々その対策に知恵を絞り、対策予算を割いていくようになりました。いまやパソコンはおろか、スマホでのネットショッピングが年末商戦の勝敗を決する主戦場となりました。

 今回はそのなかでも比較的大きな数字の動くパソコン市場を見てみましょう。

 いまやパソコンも大型デスクトップは主流から追いやられ、コンパクトでポータビリティの高い軽量小型ノート・パソコンやタブレットとノートPCを融合した2in 1と呼ばれるものに人気が集まっています。ではこれらの中で今年一番の「買い」はどのマシンでしょうか?


1 Apple Macbook Air 2020 (M1)  $899より


 待ちに待ったApple自家製プロセッサーM1搭載のマックブックがついに登場しました。その中でも薄型軽量のAirはどこでも持ち運べる最速のポータブル・コンピュータです。日常使いにはIntelのCore i7でも十分なパフォーマンスだと思っていたのですが、最近は動画編集など複数の重たいアプリを動かす人も多いらしく、より強力なパワー・マシンが求められていました。そんなパソコン・ヘビーユーザーの期待に応える驚異のポテンシャルを秘めたアップル・シリコンチップの登場はPC新時代を予感させます。うれしいのは他のAppleデバイスとの親和性が高くなり、iPhoneやiPadとの連携がよりスムーズに行えるようになる気音です。今後の課題はいかに多くの対応アプリやソフトを取り込むかですが、魅力的なソフトウェアが順次加わて行くのも時間の問題でしょう。先を見据えて、いま新型Macに乗り換えるのは十分「あり」だと思います。


2 Dell XPS 13 $999.99より

 好評だった去年の XPS 12を受けて、更なる高性能化を図った本機は、Dell社の本気度を丸出しにした切り札的ノート・パソコンです。無駄を省いたシンプルなデザインながら安っぽさは微塵もありません。

 CPU: Intel Core i7-1165G7 | GPU: Intel Iris Xe Graphics | RAM: 16GB | Storage: 512GB M.2 NVMe SSD | Display: 13.4-inch, 1200 | Size: 11.6 x 7.8 x 0.6 inches | Weight: 2.8 pounds
 
 この構成で期待しうる最高のパフォーマンスを発揮し、ビジネス用途はもとより、ゲーム・マシンとしての性能も十分発揮できる仕上がりと謳っております。とくにンテルのエース的存在、第11世代Tiger Lakeプロセッサが搭載された事はゲーマーにとってもグッドニュースのはずです。一度店頭でその高い完成度を確かめてみることをお勧めします。



3  Acer Chromebook Spin 713 $629より
 安価で持ち運びに便利な学生向けChromebookはいまやパソコンを扱う商店で不可欠な1ジャンルを形成していますが、その中でも今目立って伸び盛りなのがAcerのChromebookのなかでも高い人気を誇るSpinシリーズでしょう。2 in 1と呼ばれるデザインは若い人に大好評です。用途に応じてタッチスクリーン中心のタブレット・スタイルで操作するか、またはキーボード主体のノート・パソコン・スタイルで使用することも可能。ネットさえ繋がれば、Googleのサービス・サポートにより様々な用途に利用が可能。まさに万能型のポータブル・コンピュータと言えるでしょう。スタイリッシュなボディでいつでもどこでもカバンから取り出せば、もうそこが勉強や仕事の場となります。バッテリー寿命の長さもChromebookならではの省電力でピカイチ。日常使いにこれほど便利なノートPCはありません。



4 Asus ROG Zephyrus G14 $1129より


 CPUがAMD Ryzen 9-4900HSでGPUが Nvidia GeForce RTX 2060 Max-Qとなれば、ゲームファンの期待はいやがうえにも高まることでしょう。いや実際このゲーム・パソコンといっても差し支えないハイ・パフォーマンスの本機は、ノートタイプの小型パソコンとしては破格の実力の持ち主として、巷では発売前から話題になっていたそうです。その期待にたがわないレポートはすでにあちこちから発信されているので、実力のほどはそちらで検証されるのがよいかと思います。
 ここでは本機の所有欲を満たす外見を強調します。とにかく見た目もかっこいいよと言いたいのです。マグネシウム合金製で堅牢性抜群の筐体、高精細でクリスタル・クリアな映りのモニター、バネのしっかりしたキーボードなど、随所に高スペック・パソコンに見合うモノづくりのこだわりを見て取れるのです。店頭で本機に触れて、これは今年出たノート・パソコンの中でも一、二を争うであろうことは想像に難くありませんでした。ハードなマルチタスクにも耐えうる本機は絶対的エース。まさにAsusのフラッグシップ機としておススメです。