サムズアップ・アメリカ!
素晴らしきアーティストを悼む
5月は、国やジャンルも全く違う優れた美術系アーティスト二人が相次いでご逝去された月でした。
ベルセルクの三浦健太郎さんと、『はらぺこあおむし』で知られる絵本作家のエリック・カールさんです。
お二人になんの接点もありませんが、私にとっては少年期、そして青年期に大きな影響を与えてくれた偉大なアーティストです。今日はこのお二人に想いを寄せたいと思います。
まずはエリックカールさんから。
「はらぺこあおむし」
エリック・カールの絵本といえば、虫の話を思い出す人がほとんどでしょう。クモ、テントウムシ、コオロギ、そしてもちろん、あの有名なイモムシも、カール自身と同じようにカラフルで親しみやすいものでした。1969年に発売された『はらぺこあおむし』は、カールの代表作ともいえる作品で、児童書の世界的ベストセラーのひとつとなりました。
家族の声明によると、カールは "2021年5月23日、マサチューセッツ州ノーサンプトンのサマースタジオで、家族に囲まれて安らかに息を引き取った "とのこと。享年91歳でした。
氏は、そのキャリアの中で、70冊以上の子供向けの本のイラストを描いていました。彼がその道に入ったのは40歳近くになってからですが、彼は自分の子供時代に大きなインスピレーションを得ていました。ニューヨーク州シラキュースに生まれたカールは、父の手を引いて自然の中を歩き、アートや光に満ちた幼少期を思い出していたといいます。
「私の絵は父から始まったのだと思います。父は私を長い散歩に連れて行ってくれて、いろいろなことを説明してくれました」と2007年のインタビューに語っています。カールの父親は、狐穴や蜘蛛の巣、鳥の巣などを指摘し、子供の風景の中にある美しさや神秘に息子カールの目を向けさせました。しかし、カールの移民の両親は、母親がホームシックにかかっていたこともあり、ドイツへの帰国を決めました。ちょうど第二次世界大戦の時期でした。
「私たちは皆、後悔していました。戦時中は色がありませんでした。すべてが灰色と茶色で、街はすべて灰色、茶色っぽい枯れた緑でカモフラージュされていて、とにかく色がなかったんです」と述懐しています。
カールは教師に殴られ、兵士に撃たれ、最愛の父はナチスのために戦うために徴兵された後、何年もロシアの捕虜収容所に姿を消していました。『はらぺこあおむし』を書いたエリックカールは戦時中、心と体の空腹を身をもって体験したのです。
カールは、23歳で美術学校を卒業してすぐにアメリカに戻り、すぐにニューヨーク・タイムズに採用された。カールは新しい世界に目を輝かせました。「色、色、色! なんてカラフルな世界!」と印象派に惚れ込みます。しかしそれも束の間。朝鮮戦争では米軍に従軍し、再び苦い体験をします。ようやく戦争終わり、帰国後は広告業界に転身しました。
それらの経験が、『はらぺこあおむし』のシンプルで心に響く言葉を使う準備になったのかもしれません。
ワシントン大学のBeverly Cleary Endowed Professor for Children and Youth Servicesであるマーティン教授は、この本が幼児が知らない単語に向かって優しく誘導することで、リテラシーを育むとインタビューで語っています。
例えば、土曜日になって、お腹をすかせたイモムシが「チョコレートケーキ1個、アイスクリームコーン1個、ピクルス1個、スイスチーズ1枚、サラミ1枚、ロリポップ1個、チェリーパイ1個、ソーセージ1個、カップケーキ1個、スイカ1切れ」を食べたとき、アイスクリームやロリポップに慣れている3歳児にとっては、サラミやスイスチーズなどの言葉は新鮮だったかもしれません。
1967年に友人のビル・マーティン・ジュニアが描いた児童書『Brown Bear, Brown Bear, What Do You See? 』(こちらも傑作!)の挿絵を担当したカールは、『はらぺこあおむし』を、幼稚園に入る準備をしている子どもたちにとって、文学的な繭のようなものにしたいと考えました。温かく安全な家を出て学校に行く準備をしている小さな子供たちは、美しく舞い上がる蝶々に共感することになります。
2019年にペンギン・ランダムハウスが公開した記念動画で、「この本は希望の本だと思います」とカールは語っています。そして「子どもたちには希望が必要です。取るに足らない小さな芋虫のあなたは、美しい蝶に成長し、才能を発揮して世界に飛び立つことができます。そんなことができるようになるの? はい、できますよ。それがあの本の魅力だと思います。」そう語っているのです。
2002年、カールと2番目の妻バーバラは、来日した際に巡った絵本美術館に触発され、マサチューセッツ州アマーストに「エリック・カール絵本美術館」を設立しました。
日本文化や日本の児童向けアートにも興味を示し、生涯子供たちの明るい未来を見守り続けたエリック・カールさんのご冥福をお祈りします。
そして『ベルセルク』の三浦健太郎さん。
「ベルセルク」
ネットニュースで目にした唐突な悲報に、目を疑いました。
あの長大なスケールのファンタジー大作が未完のまま終わってしまうのかと思うと、残念でなりません。それは誰よりも作者本人が一番無念に思われていることでしょう。
今でこそ剣と魔法のファンタジー漫画は定着していますが、日本には馴染みにくい中世の絵柄を漫画という枠組みの中で表現し、大ヒットさせた力技は並大抵のものではありません。
細部までこだわり抜いて描き込まれた描写は、一コマ一コマが一枚のイラスト画たりうるような丁寧さです。しかも設定、ストーリーが壮大かつ周到で、読者の興味を次へ次へと引っ張ってゆく巧みさがファンには堪らないものでした。この『ベルセルク』が未完に終わり、もう新作が読めないのは断腸の思いです。
海外でも絶大な人気を誇るこの『ベルセルク』の作者の急逝は、アメリカでも波紋を呼んでいます。
欧米で最大手のニュースメディアの一つ、BBCでも速報され、以下のように報じられました。
「日本の漫画家、三浦建太郎氏が54歳で亡くなりました。三浦さんは、1989年に連載を開始した人気ダークファンタジー作品「ベルセルク」で知られています。
白泉社の発表によると、5月6日に亡くなられたとのことです。
白泉社は、「私たち編集者は、彼の作品に深い敬意と感謝の意を表して、彼の冥福を心から祈ります」と述べ、遺族がすでに個人的な葬儀を行ったことを明らかにしました。
この訃報を受けて、世界中のファンから悲しみの声が寄せられています。
「ベルセルク」は、中世を思わせる戦いと魔法の世界を旅する若き戦士の復讐の旅を描いた作品です。
この物語は、漫画の中でも最も目を引く精密な絵を使ったビジュアルストーリーテリングで有名でした。
またアメリカの出版社Dark Horse Comicsはこうツイートしています。
他のファンも三浦氏の逝去を惜しみ「私が彼に何か伝えられるとしたら、彼が素晴らしいということと、その輝きを世界に伝えてくれたことへの感謝だけです」とか、
「私が彼に感謝し続ける方法は、彼の素晴らしい作品をできるだけ多くの人と共有することです」
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