2020年7月5日日曜日

アメリカヘ小包

郵便、いま日本からアメリカへは難しい

 

 昨日帰宅すると、日本の実家から小包が届いていました。
 家内と娘の誕生日が近いということで、両親がプレゼントを送ってきてくれたのです。
 これには驚きました。今コロナ感染症対策で、国際間の郵便物がかなり滞っているのです。日本で個人輸入の仕事をしている知人から聞いたところによると、ここ数ヶ月、国際郵便は送るも受け取るも、非常に厳しくなっているというのです。彼が5月下旬に、大阪からカリフォルニア行きの小包を送ろうとしたところ、郵便局員さんから、通常配送では送れないと言われたそうです。
 仕事上の納品なので、彼は諦めるわけにもいかず、民間の運送業者に委託して送りました。ところがその荷物は日本の配送センターで2週間以上も置きっぱなしにされたそうです。アメリカ側が受け付けなくなっていたのです。
 その時期すでに、アメリカは表向き国家全体で輸出入の規制をしていましたが、送付先の州によってはすんなり送れる場合もあったそうです。しかし5月はカリフォルニアでも厳しい輸入規制が敷かれたので、かなりの量の郵送物が、空港で保留されるか、送り返されたのです。日本の送った側もかなり混乱したと聞きます。知人は頭を抱え、私にアメリカ側の状況を問い合わせてきました。近所のローカル郵便局に問い合わせたところ、国際郵便も通常業務で受け付けているとのことでした(当事)が、それはその郵便局の事情であって、そこから先のことは彼らもわからないのです。実際は多くの荷物がどこかの中継所や配送センター、最悪空港で止められていたのです。
 五月の時点で、ニューヨークの輸出業者へは、実質事業者ごとにシッピングの規制通達をしていました。今は予定通りに配送できる保証はないので控えるように、といった内容です。しかし一般の郵送者はそれと知らず、普通に郵便局から出して、そのまま留め置きになっているケースが続出したのです。これは日本側でも起きたみたいです。しかし現時点でもケースバイケースで、多少の遅延だけで普通に郵送される場合もあるようになっています。
 私は、母が日本から荷物を送ったとは知らなかったので、今回の小包は驚きでした。よくこんな時期届いたなと。電話で母に感謝を述べたら、やはり人による、だそうです。母の知り合いの郵送物は一ヶ月前に郵送したのに、まだ到着していないそうです。困ったものです。

 
 私の母は、毎年毎回、家族みんなの誕生日を忘れずにいつも律儀に送ってくれます。しかも決まって何かおまけ付き。
 今回は大量の袋入りふりかけと子供の好物のポッキー各種にキャラメル、うまか棒にキノコの森、グミキャンディなど盛り沢山です。それにいま日本で売れてる本だとの添え書きで村上春樹の「海辺のカフカ」上下巻がはいっていました。(それ古すぎるよお母さん!)さらに一番底には重くて送料も大変なのにようかんの詰め合わせが・・・。いつものことながら涙がでるほどうれしいです。
 息子一家が遠い異国で日本のものに不自由してるとの思いがあるようです。片田舎とはいえ、ちょっと足を伸ばせば日本の商品も手に入る環境です。でもなぜか同じ商品でも、親から送られてくるものには、何かあったかいものを感じるのは気のせいでしょうか。
 同封されていた、家内への誕生日プレゼントはバッグでした。まだ少し先なのですが、ずいぶん前から考えて用意してくれたみたいです。
 子供たちはふりかけが好きだと以前母に話していたのですが、以来毎回、何袋も送ってくれます。先回のもまだ残っているので、当分は買い足さずに済みます。ふりかけは適当な訳語がないので我が家ではスプリンクル(Sprinkle)と呼んでますね。
 ご飯といっしょに食べると懐かしい子供の頃の日本を思い出します。

2020年7月4日土曜日

アメリカのコロナ対応

コロナ対応の温度差



 今日現在、アメリカでは、一日のコロナウイルスの感染者が5万人をこえました。これは過去最多の数字で、深刻さは増しています。これまでの通算では感染確認者数が240万人を超え、実際の感染者推定数は2000万人と言われています。
 ここ数日でも、カリフォルニア、フロリダ、テキサスなど大都市がある州のほか、サウスカロライナ、アリゾナ、ミシシッピ、ミズーリ、アラバマなどアメリカ南部の州の大半が感染率増加の傾向にあります。それぞれの州では集中治療室が90%の稼働率を超え、いまやパンク寸前の危機です。
 こんな大変な状況の中、いまだにマスクをするのに抵抗を示す人が多いのは驚きです。先日もニュースで、マスク反対の団体が、市庁舎の前で抗議デモをする様子が報道されていました。
 彼らにとって、マスクは不要のものだそうです。そもそもマスクなど効果がないと言ってはばかりません。基本アメリカにはマスクをする習慣がありません。花粉症がピークの時期でさえ、マスクをしている人を見かけることはないのです。むしろマスクは過剰な防備、異常な反応と考えているようです。これだけ感染が広がっても、反対運動では人々が100人以上も密集し、「マスクいらない。矯正するな」と口角泡を飛ばして叫んでいるのです。行政が安全のためだと言っても「大統領もマスクはしないじゃないか」と胸を張って詰め寄るのです。
 こうした状況ですから、感染がひろがることはあっても、決してなくならないのです。
 さすがにニューヨークはもうかなり痛い目にあっています。4月頃、アメリカの州で一番最初にピークを迎え、コロナの恐怖と苦しみを味わいました。これでかなり多くの人が、自衛と感染拡大防止には、ソーシャルディスタンス、マスク、手洗いがいかに重要かわかってきたのです。
 でも問題はこれからです。強力なロックダウンで商業活動が停止され、あまりにも多くの会社、店舗などが大打撃を受けました。経済再開はもはや一刻の猶予もないくらい、ニューヨークの経済を圧迫しています。しかしここで慌てると、せっかくの苦労が水の泡になるのも、各国の先例をみて知ってはいるのです。
 そうは言っても背に腹抱えられません。早まって店舗や会社を再開したところでも小規模のクラスターが出始めています。それに加えて感染増加傾向の他州からニューヨークへいま続々と人が向かっています。一応、州をまたぐのを規制はしていますが、それを強制することは不可能です。数百以上の幹線道路を検問するわけにも行かず、この独立記念日という、アメリカ屈指のホリデーシーズンにどれだけ人が移動するか、予測も付きません。
 現に私の住むニューヨーク州南部の小さな町にも、週末が来るごとに、観光客が増え続けています。小さな町なので、ここ数ヶ月は、町民の大半が行儀よくソーシャルディスタンスとマスク着用を守ってきました。日本人の私でも、ちょっと大げさかな、と思うくらい町民は路上で人を避けます。私も散歩をしていて、50メートル先から近づいてくる人を見ると、慌ててマスクを着用したり、反対の路肩に進路を変える人をよく見かけました。それくらいコロナは小さな町の生活スタイルを変えたのです。なのに、週末にこの街を訪れる観光客の半分くらいは、マスクをせずに街の中心地を闊歩しています。
 そういうわけで、いまアメリカではコロナ感染症に対する温度差が、私は気になります。
 先日は信じられないローカル・ニュースが飛び込んできました。
 ある学生のグループが、この危険時のさなか、パーティーを開きました。それはゲームを伴ったパーティーです。パーティー参加者の一人に感染者を意図的に加え、参加者全員にゲーム参加費を払わせました。パーティーは当然、密な状態でマスク無しで行われました。
ゲームというのは、このパーティーのあとで、一番最初に感染した者が、参加費全部を賞金としてもらえるというものです。この人達、何を考えているのでしょう? 若者は感染しても重症化しないと確信しているのでしょうか。それにしたって、あとで家族や周りの人に感染拡大する危険性など思いもしなかったのでしょうか。
 個人の自由が尊重されるアメリカだからこそ、なお一層、こんな時代は他人の迷惑、いや人の命に関わることには敏感であってほしいものです。
 

大人気ファミリービデオ

アメリカはファミリー・ビデオが熱い

 

 YOUTUBEのファミリー・ビデオにハマっています。

 何がすごいって、ここ数年、アメリカではごく一般の家族が自分のファミリーを動画にした日記風のビデオが大流行です。日本では家族が顔出しなんてNG! 世間のさらし者だわ。なんて考えている人が多いのか、それほどまだ目立った動きはないようです。

 でもアメリカは違います。それはもう大盤振る舞いというか、世間体など一切お構い無しで家族の日常を撮りまくり、ネットに上げまくるのです。その潔さがウケる理由でしょうか。

2020年7月3日金曜日

花粉症、第二波?

紛らわしいくしゃみ

 

  

 こんな時節柄、皮肉なことに今頃になって、最近また毎年恒例の花粉症がやってきました。

 いやなタイミングですね。例年より一ヶ月近く遅い発症です。朝起きると鼻がぐじゅぐじゅして、目がかゆい。寝てる間にまぶたを引っ掻いたらしく、鏡の中のわが両目は、徹夜明けのように真っ赤に充血しています。

 これはよろしくないです。ただでさえ、ちょっとくしゃみしただけでもひんしゅくを買う空気の昨今、鼻をズーズー言わせて町中を歩くわけには行きません。

 念には念を入れて、体温を測ったらやっぱり平熱。これは明らかに花粉症です。PCR検査は受けていませんが、決してコロナでは有りません。そもそも人と接近してませんから。ここ4週間、最短距離で2メートルのソーシャルディスタンスは守っています。

 なのでこの鼻グズと目のかゆみは間違いなく花粉症です。かれこれ20年、周期的にこの季節、体が自動的に花粉に対して敏感になってしまうのです。それでも一歩外へ出たら言い訳など言ってる暇はありません。あらぬ疑いをかけられないよう、家でじっとしてろとでも言うんでしょうか。冗談じゃない。朝の散歩というささやかな開放感を奪われ、終日家の中に閉じこもるのはそろそろ限界です。


2020年7月2日木曜日

和製英語、アメリカでは残念

その英語、通じません



 キャッチボールって和製英語です。アメリカでは通じません。「キャッチ」が正解でボールはいらないんです。このように日本人が普段何気なく使っている英語も、本国では意味不明となるものが多いので注意が必要です。

 日本に英語が入ってきて、いろんな誤解がそのまま定着したカタカナ語が溢れています。それと同じように日本我流というと言いますか、日本人が作った和製英語が世に溢れています。日本人同士、共通の理解が定着した語句としてそういったカタカナ語を使うのはいいとしましょう。しかしそれを正式な英語文、英語会話に交えて使うのは、ちょっとヤバいかも。アメリカ人にとって聞き慣れない語句は奇異に伝わるものです。私的な会話で「ん?」て変な顔されたことありませんか?

ニューヨークで犬を飼う事

アメリカン・ドッグズ




 近頃散歩をしていて気づくこと。それは犬を連れた散歩が多いな、ということです。
 今のようにステイホームの時代だからでしょうか。人と人とが会う機会が今激減しています。それゆえ、人々はコミュニケーションの相手として、飼い犬などを見直しているのかも知れません。人とペットとの間にも、微妙な変化が起こり始めている、そんな気がします。

 もともとアメリカはペット大国といっても言い過ぎでないほど、ペットの保有率が高い国です。ちなみにマーケティング・リサーチ会社GfKによると、アメリカのペット保有率は70%。日本は37%です。
 そこへ来て、コロナウィルスの猛威で人々の心理不安が顕在化してきました。先日のニュース報道で、保健所の犬や猫が急激に引き取られるようになってきたと報道されました。人々は癒しを求めて、ペットを探しに来るのだと言います。映像ではコロナ以前の混み合ったケージの状況を写し、その後現在のケージがどうなっているのかをカメラが映し出しました。
 空っぽです。これはとある保健所の動物を一時管理する施設を撮影したものだそうですが、他のところでも同様の出来事が頻発しているというのです。保健所の人たちが、空っぽになった檻を見ながら拍手しているシーンが印象的でした。以前なら、ここで生涯を終える定めの犬や猫が、癒しを求める人たちに喜んで引き取られていくのですから、嬉しいのは当然でしょう。
 私も犬を飼いたいと常々思っております。でも今は近所のワンちゃん達を見るだけで我慢しています、うちには、二羽のウサギと一匹のトカゲ、二匹のヤドカリがいますので、それで日々癒されているのです。
 でもやっぱりワンちゃん、欲しいな〜と夢見る日々。

 今朝も、散歩の途中でとっても愛くるしいワンちゃんに会いました。
 ま、初めて会う犬というわけではなく、近所の飼い犬なのでときどき庭でうろついてるのを見かけてはいました。けっこう年のいったゴールデン・レトリヴァーで毛並みなんかはもうよれよれしちゃってるのですが、つぶらな瞳がなにかを訴えてるようなやさしい顔をしています。
 フェンス越しにハーイ!なんて声をかけるとひょいひょいと無表情で近づいてくる、人なつっこい奴だな、というような印象を持っていました。
 今日はたまたまその犬が庭でぼーっとしている所にでくわしたのですが、なんというか、その犬君、仕草がとても可愛かったのです。
 かなり遠くから私が近づいてくるのをじっと見つめていたんですね。駆け寄ってくるのかな、と思ったら納屋の裏手に引っ込んでしまいました。
「あ、逃げちゃった・・・」
 そう思った次の瞬間、ゴムボールをくわえて一目散に私の所へ歩み寄ってきたのです。
フェンス越しにポン、とボールを落として、鼻面で私の方へパスしようとします。
「なに、ボールで遊んでくれっての?」
 私の問いかけに懇願するようなまなざしでじっと見つめ返してきました。
 あー、なんていじらしい仕草でしょうか! わたしはもうアイフルのコマーシャル状態でした。(古すぎ!)
「ごめんな、仕事行かなきゃ」
 そう言ってワンちゃんの視線を振り切ってその場を離れたのですが、十メートルほど歩いて振り向くと寂しそうに、まだこちらを見ているではありませんか。
「ごめんってば」
 私は心でそうつぶやいてさらに歩きました。犬の庭が見えなくなるカーブぎりぎりのところでまた振り返ってしまいました。
 豆粒ほどに小さく見えるワンちゃんがまだ私を見送っているのを見たとき、なんともいえない愛おしさがこみ上げてきました。

 こんな犬なら一度は飼ってみたい、そう思わずにはいられないひとときでした。

2020年7月1日水曜日

彫るのは自由ですが。

アメリカは入れ墨に寛大



 先日、仕事場に新しいキャビネットや電気系統の改良を施すための、資材がデリバリーされてきました。
 日本で言えば、引っ越しセンターと言うんでしょうか、荷運び専門の業者の3人組がトラックで乗り込んできました。どうひいき目に見ても、あまりガラのよさそうなヒトたちではありません。リーダーらしき年配の男は、グラサンを外そうともせず名乗りもせず、仏頂面で「トラックどこにつけたらいいんだ?」といきなり聞いてきました。
 一瞬私と同僚の女性は凍りついたように沈黙しました。うちの仕事場で比較的物腰の低いアランが前に出て、「なにか御用ですか?」と聞きました。
 グラサンは「おー、話し通じてねーよ」といかにもかったるそうに仲間の同意を求めます。ふたりの部下も部屋をのぞきながら、放送禁止の4文字言葉でなにやらぶつぶつ言ってます。
 みんなははやくも不穏を察して「触らぬ神に祟りなしモード」でだんまりを決め込んでしまいました。なんか気まずい空気のまま、われわれの目の前を機材が横切っていきます。
 私も人並み程度に小心者ですから、平静を装いつつも、さっさと仕事終えて帰ってくれんかなー、などど思ていました。