2020年6月27日土曜日

魔法の整理整頓、教えます

お片付けマジック、降臨



 遅ればせですが、ネットフリックスでマリエ・コンドーのTVシリーズ
「Tidying Up with Marie Kondo」全エピソードを見終わりました。
 さすがですね。アメリカでいま一番有名な日本人のベスト5には入っているでしょう。
 彼女の著書「The Life-Changing Magic of Tidying Up」はベストセラーとなり、テレビや雑誌が奪い合うように取り上げ、話題はSNSでも大いに拡散しました。
 とにかく2,3年前から、彼女を見ない日はない、といっては言いすぎですが、とにかくそれくらい知名度は抜群です、とくに主婦層の間では。
 もちろん私の妻もマリエ・コンドーの大ファンです。いや信者と言っていいくらいかな。気がついたら我が家の洗濯物の畳み方が変わっていました。コンマリ・メソッドをまんま受け継いで、タンスの中はとてもスッキリしています。(笑)



 それはもう恐るべき影響力です。
 TVシリーズの「Tidying Up with Marie Kondo」は毎回コンマリが、片付けの問題を抱えたアメリカの家庭へ行って助言して、トラブルシュートしていく、というドキュメンタリーです。
 ここで紹介されるアメリカ家庭はごく平均的なサンプルだと思います。私の知人、友人の家と大差ない普通のアメリカ在住一家。それなのに、ものの量はみんなうちを遥かに凌駕しています。繰り返しますが、それほど物持ちの家庭ばかり集めたとは思えないレベルです。
 それでも、いざストレージの中から、ベッドの上へ服をぶちまけると、みんな半端ない量に積み上げられます。そのたびに我が家を振り返り、「うちって量少なめなんだ・・・」と複雑な気持ちになります。
 服だけじゃありません。靴の数、置き物、装飾品の量、食器類に至るまで、みんなありあまるほど持っています。アメリカにはミニマリストもいると聞きますが、私はまだお目にかかったことがありません。それは本当にごくごく少数派じゃないでしょうか。
「いやー、アメリカ人て所有する物量は、桁違いだな」
 そう思いました。
 我が家も無駄なものが多いとは思っていましたが、まだまだマシだと慰められた感じです。しかしコンマリさんはそんな物量大国のアメリカ人に対しても、終始にこやか涼しげ。
 彼女はいつも冒頭、それぞれの依頼人のまえで、床に正座しお祈りの儀式をします。
 「家」という人格のないモノに心で語りかけるこの儀式が、コンマリ・メソッドの「つかみ」です。それまであまたあった、アメリカ合理主義の整理整頓メソッドとは違いますよーという、差異化を強調するメッセージ。これで依頼人のハートを掴むのです。
 「精神論の導入=アメリカ人には画期的」私はそう受け止めました。
 そして彼女はにこやかに部屋を見て回ります。ストレージからはみだした物量の凄さにも全く動じず、常に笑顔で「はいはい。わかりました」みたいな対応。普通他人が見たらあの散らかし放題は引くでしょう。でもコンマリは歯牙にもかけない様子で、
「こんなのどってことないわよ。わたしの魔法で一気にお・片・付・け」
 ってな具合にアドバイスして去っていくのです。
 服をたたんだり、小手先のテクニックははっきり言って既存のものと大差ありません。どっちでもいいんじゃない、ってものもあります。
 彼女の一番のウリは「トキメキ」です。あなたのものを手にとって、ときめくか、ときめかないかを感じましょう。感じるものだけ取っておきましょう、というのです。
 スパークリング・ジョイと英訳されてましたが、それで捨てるか捨てないかを選別するのです。
 彼女の話術が巧みなのか、指導をうけたアメリカ人たちは、「サンキュー、マリエー」ってまるでもう事件が解決したような笑顔で見送るのです。
 でも考えてみれば、そこからが重労働の始まりです。あまりの選別量の多さにげんなりして、何を手にしても「ときめかない」時じゃないのですか、これから。
 そんなことはお構いなしに、とうぜん番組製作者側はコンマリの成果を強調したいわけですから、次にコンマリが再訪するまでに、お片付けが済むように依頼者に念を押します。
 これはプレッシャーになるでしょう。あれだけの量の服や雑貨を部屋にぶちまけておいて、「はい、あとよろしく」みたいな状態で、「つづく」という設定。これはキツイ。
 テレビ番組として、家庭の内部がさらされたわけですから、もう解決するしかないように追い込まれるのです。
 コンマリはアドバイスするだけで、決してその大作業を手伝うわけではありません。あくまでも、一番肝心な片付け実作業は、当事者がするしかないのです。
 その過程はかなりバッサリと編集されているので、飛んでしまうのですが、その期間こそ依頼者一家にとって正念場のはずです。番組の期待に答えねばならない家族側の苦労を察すると、やっぱなんのメソッドであれ、片付けは大変なのだと、思わざるを得ないのです。
 コンマリは中間チェックを含め、数回各家庭を訪問するのですが、終始変わらぬ笑顔。このシリーズ、続けてみていると、なんだか彼女のスマイルが怖くなってきます。
 彼女がアドバイスして、ふたたびやって来るまでの間、当事者たちがどれほど苦労したことか。そこへの忖度というか、いたわりがまったく伝わって来ないのです。
「ほーら、うまく片付いたでしょう。私の魔法のメソッドで。うふふ」
 彼女は何事もなかったかのように、涼やかに微笑むのです。
 いやいや、依頼人の本音はこうじゃないですか。
「あんだけガンバったら、なんでも片付くわい!」

 私は思いました。「うん。確かにこれは魔法だと」。
 番組という魔法によってシッチャカメッチャカな場面は切り捨てられ、すごく整理された、いわば「お片付け」のできた映像がお茶の間に運ばれるのです。
 恐るべしコンマリ。
 私は雑然とした自宅の応接間でテレビを見ながら、早く片付けなければ、という焦燥に駆られるのでありました。
 

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