2022年8月8日月曜日

なぜ米国でコーヒゼリーが消えたのか?

サムズアップ・アメリカ!
日本人に愛されたボストンの歴史的デザート




夏の暑〜いひとときに味わうコーヒーゼリーはまた格別なものです。ところがここアメリカでは、このコーヒゼリーをレストランや店舗で見つけるのは一苦労します。ていうか、まず見当たらないでしょう。

ご存じですか?コーヒーゼリーは、自分で作らない限り、アメリカではなかなか手に入らない貴重なスイーツ、なのです。
この記事では、なぜ日本でコーヒーゼリーがもてはやされてるのかはさておき、アメリカではほとんど認識されていないスイーツの一つになってしまったのかをご紹介します。


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「2019年、ボストンのあるレストランが閉店した。通常、大都市でレストランが閉店してもそれほど騒ぎにはならないが、このレストランは違った。ダージン-パークは200年近く営業しており、食の歴史家ポール・フリードマンが「米国で最初に忘れられた料理」と呼ぶ料理を提供することで有名だった。」

こう語るのは、料理本や旅行ガイドブックを多数発行するGastro Obscura社の編集人アン・アーバンク氏です。

「ボストンのファニエルホール・マーケットにあったダージン・パークは、まさにその種の最後の店だった。ボストンの名物だったベイクドビーンズや、パスタ、オニオンリングなどの大衆的な料理を次々と提供し、晩年は観光客相手の店になっていた。しかし、「インディアンプディング」(初期の入植者が作ったコーンミールと牛乳のお菓子)や、今ではほとんど姿を消したデザート、コーヒーゼリーなど、ニューイングランドの歴史に残る人気商品も販売していました。」

著者は日本でコーヒゼリーがとても一般的で、人気のあるスイーツだと承知のようです。その上で、アメリカで名のみ知られるコーヒーゼリーがいかに消えていったか(あるいは消えかけているのか)を論じています。
以下はその抄訳です。






コヒーゼリーの起源

コーヒーゼリーは、コーヒーを固体ではなく液体で飲むことに慣れた私たちにとって、最高級のヌーベルキュイジーヌに思えるかもしれません。しかし、実際はその逆です。
コーヒーゼリーの初期のレシピは、少なくともダージンパークと同じくらい古いものです。

遡るとニューヨークの雑誌『Lady's Book』の1836年発行のレシピには、コーヒーに子牛の足を煮て作ったゼラチンを混ぜると書いてありました。
クリームと砂糖で上品なデザートになったとあります。19世紀、ゼラチンは贅沢品であり、煮沸した動物の部位と、それを固めるのに十分な涼しい場所が必要でした。
きっと当時は大皿に盛られたきらめくコーヒーゼリーにクリームソースを添えれば、お茶会や晩餐会の席で「わぁー」と歓声が上がったことでしょう。

19世紀から20世紀にかけて、ゼリーはより一般的なものになりました。ボストン大学でアメリカ料理と家庭科を研究する食文化史家のメーガン・エリアス氏は、「実際、ゼラチン全般が大きな流行となった」と言います。
「粉ゼラチンが市場に出てきてからゼリーが流行りましたが、電気冷蔵庫でゼリーを冷やすことができるようになってからは、さらに流行しました」と彼女は言います。
コーヒー味のゼラチンも含め、ゼラチンは病人に特に良い食品だという評判が立ちましたた。イギリスの医学雑誌『ランセット』では、コーヒーゼリーを食後のアルコール摂取の解毒剤として推奨していたこともあるそうです。

とりわけ、ボストンでは特に人気があったようで、世紀の変わり目にはボストンの新聞にレシピが次々と掲載され、「ニューイングランドの女性たち」のお気に入りレシピとしてパッケージ化されることもあったそうです。
手に入りやすい材料と短いレシピ(抽出したコーヒーに溶かしたゼラチンと砂糖を混ぜ、ミルキーなソースをかける)により、ヤンキーの理想とするシンプルさ、あるいは余ったコーヒーを使えば質素でさえあることを体現していたのです。


ファニー・ファーマー

19世紀のアメリカで著名な家政学者であり料理研究家であったFannie Farmer。彼女ほど、その理想を実現した人はいないと言われています。
ファニー・ファーマーは、食や料理そのものにはあまり興味がなかったと言われているが、料理本やコラムで、アメリカ人にとって理想的な燃料と考えられるボリュームたっぷりの料理を広め、料理界のスターになりました。
ファニー・ファーマーが定期的に出版していた料理本には、フルーツジュースやリキュールを使った繊細なゼリーのセクションがあります。
コーヒーゼリーにも砂糖とクリームが添えられており、その後数十年にわたるファーマーのコラムでは、ボストンベイクドビーンズやサマースカッシュといった他のニューイングランド名物と並んで、コーヒーゼリーをデザートとして勧めています。





フリードマンの著書『American Cuisine: フリードマンの著書『American Cuisine: And How It Got This Way』では、ファニー・ファーマーなどの家政学者が「アメリカ人にニューイングランド料理を取り入れてほしかった」と述べています。
具体的には、1876年の建国100周年記念のために国民的な関心事となっていたアメリカの植民地時代を思い起こさせるような料理を、アメリカ人に食べさせようとしたのです。

ベイクドビーンズやインディアンプディングなど、「初期アメリカ共和国の質素な理想」を感じさせる郷土料理は、20世紀に入っても新しい輝きを放ち続けたのです。
この輝きは、名店「ダージンパーク」のようなレストランで、残ったコーヒー豆でコーヒーゼリーを作ることにも生かされていました。
しかし、イライアスは、コーヒーゼリーが単に古いコーヒーを使い切るためのものではなかったと指摘します。
「最初のゼリー粉は熱い液体を必要としたので、使用するコーヒーは残らなかったでしょう」と彼女はメールで書いています。「また、コーヒーは通常、飲み残しがあるようなものではありません。


途絶えたコーヒーゼリーの伝統

ニューイングランド人は、コーヒーゼリーに最後まで熱中することはなかったと言います。
かつて珍重されたゼラチンは、1950年代には米国で一般的なものになりました。必然的に、かつての優雅なゼリーは、絶望的なまでに野暮ったくなってしまったのです。
ボストンのリーガル・シー・フーズのCEOであるロジャー・バーコウィッツのような熱烈なコーヒーゼリーのファンは、この料理のために戦い、最近では2016年に同店のメニューに載せたこともありました。
しかし、これは短期間しか続かなかった。何年も収益が低下していた「ダージンパーク」が2019年についに閉店すると、このデザートはスプーンで食べるコーヒーゼリーのように、さらに無名へと転落してしまったのです。





少なくとも、アメリカではそうなってしまったとのことです。
しかし日本ではコーヒーゼリーは生き続けています。
実際、日本では非常に人気があり、しばしば日本で発明されたと勘違いされています。
一説には、アメリカで家政学を学んだ日本人ジャーナリストが、帰国後の1914年にコーヒーゼリーのレシピを発表したとも言われています。
日本でコーヒーゼリーが大流行するのは、1960年代、喫茶店「ミカド」が提供するようになってからのこと。
ミルクや生クリームと一緒に、時にはキラキラと輝く栗色のキューブ状にして食べるのが定番となりました。
現在では、全国の喫茶店やスイーツショップで販売されています。実はようやくこの貴重なデザートに気づいたスターバックスが2016年にコーヒーゼリー入りのフラペチーノを発売し、コーヒーゼリーに参入しています。

同様に、コーヒーゼリーは、バブルティー専門店で出されるドリンクの数ある具の一つとして、ようやくアメリカに戻ってきました。プラスチックカップに入ったTea Zone社のコーヒゼリーも普及しつつありますが、日本人の口にはちょっと・・・。やはりある程度本格的なコーヒー豆と素材を使用しないと、大ヒットにはつながらないでしょう。

というわけでアメリカでコーヒーゼリーが返り咲くかどうかはまだまだ未知数です。
我と思わん方は、アメリカ人の口に合う、本当に美味しいコーヒーゼリーを作って販売してみてはいかがでしょうか?




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