2020年11月28日土曜日

アメリカでのサービスとは

運転を生業とする者


  アメリカでリムジンの運転をしていると、いろんな人に出会います。以前はローカルな空港でプライベート・ジェットを利用する人の送迎などをしていました。多くはコーポレートジェットと呼ばれるビジネス用に企業が用意した小型飛行機を利用する人達です。私が出迎えに行く空港では、発着に合わせて空港スタッフがドライバーに指示を出します。数人乗りの小型ジェットが行き交う滑走路を恐る恐る横切って、空港のど真ん中で着陸を待たされることもあるのです。

 アメリカのビジネスマンはじつによく飛行機を利用します。州から州へ日帰りトンボ帰りも珍しくなく、まるで空飛ぶタクシーのような感覚で飛行機を乗り継ぎます。いつでしたか、私が飛行場のターミナルにリムジンで迎えに行くと、「あれ、君はいつドライバーに転職したの?」と聞かれたことがあります。「は?」私はこの初対面のお客さんが何を言っているのかわからなかったのですが、車中で話を聞いて謎が解けました。そのお客さんは、ニューヨークを起点に、他州へ毎週のように飛行機でビジネス・トリップをする人でした。彼が懇意にしていたプライベートジェットのパイロットが私に似た中国人だったのです。どこまで似ていたのか分かりませんが、彼にとっては運転手もパイロットも混同するぐらい日常的な移動機関の担い手に過ぎなかったのです。

 こういう忙しいビジネスマンに共通するのは、移動中に会議をする点です。車に乗る前からすでに誰か仕事相手と話をしていることも珍しくありません。私が「こんにちわ」と話しかけても返事がないのは電話中だからです。車に乗ったとたんに、誰かに電話をかける人も目立ちます。これがまた不思議なくらい相手もすぐ応答してきて、間髪置かずに会議に突入するのです。移動中、小一時間話し続けることも珍しくありません。

 こういった忙しタイプのビジネスマンは、たいてい運転手のことなど気にも留めません。支払いも会社が事前に済ませている場合が多いので、ひどい時など、下車の際、一言もなく去っていくお客さんもいます。もちろん「サンキュー」と声をかけてくれるとこちらも安堵するのですが、なんの反応もないとなんだか怒られているようで不安に駆られます。なんか落ち度があったかな?なんてね。

 でも当たり前ですがいい人もいて、支払いはチップ込みで会社持ち、という場合でも、別れ際に「おつかれさん、ありがとう。いい運転だね。コーヒーでも飲んでね」とポケットからチップをはずんでくださるお客さんもいます。

 それ目当てというわけではありませんが、やはり運転手も人の子、わずかな移動の間でも心地よいひとときにしたいとの思いがありますので、なるべく和やかな運転を心がけます。相手が話好きだなと感じたらこちらから話しかけて世間話をしたりもします。車が動き出してから3分以内で話したい人か、話したくない人かを見極めるようにしています。

 ときおり、車中が沈黙で凍った空気が漂うことがあります。そんな時はギリギリの低いボリュームでニューヨーク的なジャズのインストルメンタルを流します。リラックスしたムードが漂う選曲を用意していますので、場の雰囲気がふんわりとよくなります。「いい音楽ですね」と言われるとしてやったり、とうれしくなります。

 ニューヨークは人種のるつぼと言われるように、多民族国家です。流すラジオもヒスパニック系にはラテン・ミュージック、アフリカ系の方ならモータウン・ミュージックなどと使い分けています。ある時、見た目がいかにもラッパー風だったお客さんを乗せ、これならと軽いノリのヒップホップ系のラジオにチューニングしました。そしたらそのお客さん、あっという間に火がついてぐいぐい乗ってきました。たびたびボリューム上げるよう要求され、けっきょくすごい大音量で目的地まで走ることに。まるでダンスパーティのような運転になってしまいました。そんなこともあり、近頃はリクエストが来た時にさっと切り替えられるテクニックも考案中です。

 こうした空港とつながる運転は今年初めまで続けていて、それなりにいい出会い、楽しいことなどもあったのですが、3月になって事態は一転しました。コロナの影響で、瞬く間に空港は閉鎖され、飛行機利用者は皆無となったのです。

 私は長年日本はじめ、諸外国からくるお客さんの送迎、観光案内までやらせていただいてきたのですが、それが一瞬でできなくなりました。いまでは地元のローカルな移動を必要とする顧客のみと言っていいほど客層も変わりました。

 以前はプライベートジェットを足代わりに使う、超のつくようなお金持ちもいました。今はメディケイドという制度を利用する、自家用車を持たない低所得層の人たちの病院送迎などで細々と稼いでいます。こういった方たちからはチップなしでサービスするよう言われていますので、生活も大変になってきております。

 とはいえサービス業として、プロとして当然クオリティーを落とすことは毛頭考えていません。ただこの低所得層のお客さんたちも、経歴や育った環境が千差万別でいろいろ刺激になることがあります。すごく親しくしてくださるフレンドリーな人もいれば、なぜだかいつも不機嫌でなにかと突っかかってくる人もいます。もうホームレスすれすれの人も多く、私が運転する高級車リンカーンやキャデラックに乗れることに狂喜する人もいれば、平気で車内で飲み食いして車を汚してくれる人もいます。

 私の所属するカー・サービスという業務形態はタクシーとは違い、路上でお客さんを拾うことはできません。すべてが予約制で、事前の連絡やスケジュール、支払いが完了していることが基本、前提です。生活保護を受けているお客さんの中には、自分で車の予約もできずケースワーカーやエイドと呼ばれるサポーターの人に任せっきりの人もいます。

 なかには、カー・サービスという仕事を把握せず、生活ケアの一環だと勘違いして利用する人もいます。途中下車して煙草や宝くじを買う人もいれば、食料の買い足しに付き合わされることもままあり、疲れることも多くなりました。

 カー・サービスという職種は、単にお客さんをA地点からB地点へお運びするだけではありません。近年は特に人手不足の医療関連の送迎が絡むようになり、その連携が求められています。高齢者やハンデを背負った方の足代わり、杖代わりになるようなきめの細かいサービスが必要とされているのです。玄関口まで行って車いすを押したり、病院に着いたら先導してドアを開けたり、受付と連絡確認をしたりと、時に応じていろいろ気配りも必要なのです。大変ではありますが、やりがいのある仕事だと思っています。

 以前は自家用ジェットに乗るお客さんに気を使い過ぎていた面があったことに気づきました。こびへつらっていたわけではありませんが、人と人とのつながりが希薄だったことを反省しています。これからはお客様の貧富にかかわらず、距離感を縮めたコミュニケーションを心がけたいと思っています。

 また今現在は、あまり度を過ぎた要求をされるお客さんに対しては、毅然とした対応も必要だと感じています。ケースバイケースでありますが、そういった様々なやり取りも仕事のスキルとしてこれから伸ばしていくよう自らに心がけしているところです。

 コロナというのは人の生命、健康を奪い、仕事も奪っていきますが、ただ負けているわけにはいきません。このような逆境だからこそ、創意工夫を発揮して、自分を磨いていかなばならない。そんなことを考えている今日この頃です。

 

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