2020年7月27日月曜日

アメリカのキッズに語る日本文化

日本のロボット・アニメ概説



 昔、地域のコミュニティで、異文化交流会がありました。公立図書館のイベントの一環で、月一度ぐらいのペースで、代わりばんこでいろんな地域出身者が、お国自慢を語るものです。たしか最初は図書館のポスターかチラシで、ネイティヴ・インディアンのご婦人が平和と歴史について語る、というものに惹かれて参加したのが始まりです。
 民族衣装をまとったその高齢の女性が、自らの文化を誇り高く語る姿に、私は感銘を受けました。50人あまりの聴衆も、大きな拍手で称賛の意を表していました。率直に、知らない文化を学ぶいい機会だと思い、それから数回その会合に参加しました。あるときはアフリカの民族衣装の女性、またあるときはスコットランドのバグパイプの演奏を交えて語るおじいさん、などです。それぞれお国柄が出ていて、とても興味深いものでした。
 あるとき主催側のスタッフに声をかけられ、日本のことを話してくれと言われました。始めは英語が上手くないことを理由に断っていたのですが、夏休み企画として、子供向けに話してくれと頼まれました。それでとっさに思いついたのが、日本のアニメについてなら、話せるかも、ということでした。準備期間はわずか一週間足らずだったので、慌てて原稿を書き、それをもとに話をすることにしました。以下の文はその原稿です。



タイトル:日本のスーパーロボットを知ってますか?

皆さんこんにちわ。これはあくまでフィクションについての考察です。

あなたはロボットについて、なにを思い浮かべますか?
日本の子供の多くは、スーパーヒーローを思い浮かべます。例えばトランスフォーマーみたいなやつ。あれは日本のアニメからきてるんですよ。
アメリカでロボットといえば、以前はアイザック・アシモフの一連のサイファイ小説を思い浮かべることが多かったでしょう。
私が興味深いのは、アメリカでそれ以外のロボットは、おそらく人間にとって、脅威の存在として描かれていることです。
代表的なものとして、映画ではターミネーターですね。多くのゲームでは巨大で恐ろしいロボットが一般的しょう?
しかし日本のロボットは、昔から人間の味方が多かったのです。

日本で最初に人気を得たのは、鉄腕アトム、つまりアストロボーイです。アストロボーイが漫画雑誌でデビューしたのは1951年だ。漫画の設定では、アストロボーイは2003年に誕生でした。原作者は、半世紀後の未来に、アストロボーイが実現すると期待していたのでしょう。
残念ながら、現在でもロボットはまだ原始的な存在です。
しかし、原作者は大きな夢を漫画に託しました。そしてアストロボーイは大ヒットしたのです。

とくにテレビ・アニメーションとして、動くロボットはとても画期的であり、魅力的でした。アストロボーイはとてもかわいい子供の姿でしょう。アトムは人間と同じような喜怒哀楽を持つ。それだけではなく、勇気と正義、そして物凄いパワーを持った存在です。日本の子どもたちがあこがれるもの無理はないです。

アストロボーイ以降、日本のマンガとアニメーションは、ロボットの発展史といってもいいでしょう。アストロボーイのあとに、人気者になったロボットは鉄人28号、つまりGigantorです。みんなのお父さんやお母さんは知ってると思います。アメリカでもテレビ放映しましたから。

Gigantorはアストロボーイと対象的です。彼は徹底したロボットの性格を備えています。感情を持たず、人間の命令で動く。リモートコントローラーによって動く彼には、恐怖心もなく、正義感もない。彼の全ての行動は、操縦者の意思に反映されるのです。もしコントローラーを悪人に奪われると、悪に従うロボットです。それ故、視聴者はスリルを味わうのです。Gigantorの戦いは、子どもたちの心を鷲掴みにしました。

テレビ・アニメーションの草創期に、たくさんのサイファイが作られました。アストロボーイ、Gigantorと並ぶ人気を獲得したのは、エイトマン、つまり8thmanです。このアニメもアメリカで放映されたんですよ。この作品の独自性は、主人公のロボットが大人だということ。アメリカではほとんどのスーパーヒーローが大人であるのに対し、日本のそれは、ほとんどがティーンエイジャーか、小さな子どもです。しかし8thmanはハードボイルド小説の意匠を借り、とてもクールでスタイリッシュなキャラクターです。8thmanは唯一無二の個性的なロボットなのです。

日本のロボット・アニメーションの特徴は、ロボットと人間の関係性です。人がロボットをいかに操縦するかが見どころ。
それは時代の変遷とともに、変化していきました。
1972年に登場したマジンガーZ(Mazinger Z)は画期的でした。人間が操縦する小型飛行機が、巨大なロボットの頭部にドッキングするという設定です。ゆえにこのロボットはとても大きい。身長は60フィートもあるのです。
彼は戦闘に特化したロボットで、多くの武器を持ちます。Gigantorとアストロボーイは、ロボット同士の原始的な殴り合いでした。しかしMazinger Zは装備された武器を駆使して、ヴィランの操るロボットと戦う。敵ロボットも、工夫をこらした様々な秘密兵器を持っていました。この壮絶なロボット・バトルの系譜は、その後、たくさんの模造品を生み出したのです。


1979年、日本のロボット・アニメーションは大きな転期を向かえました。機動戦士ガンダム(Mobile Suites Gundam)が誕生したのです。それ以前のロボットとは全く違います。そこにはリアルなストーリーがありました。小さな子供には難しすぎる設定。それは本当にあり得る、架空の未来史です。
基本的にGundamは戦闘機の発展型として描かれます。その舞台は宇宙。主人公はもはやロボットではなく、人間のパイロットです。
その物語は、人間の葛藤を描き、ロボットの存在意義さえ後退しました。しかし興味深いのは、その作者の意図とは裏腹に、カッコいいGundamの人気は独り歩きし始めました。
この一作目以降、Gundamは数多くの続編を作ってきました。驚くのは、そのいずれもがヒットし続けているということです。しかし今日は、私はそれを語りません。とても長くなってしまうからです。
しかしGundam以降も、ロボット・アニメーションの歴史は止まりません。とても様々なバージョンのロボットが出続けています。

そのなかでも、ひときわ目立つのが、新世紀エヴァンゲリオン(Evangelion)です。この作品はそれ以前のすべてのロボットの歴史を否定しているように思えます。もはやそれは本来のロボットの概念から逸脱しています。より未来的に洗練されたロボット。操縦するのはより繊細な感性の子供。同じパターンでありながら、本当の主人公は人間であり、人類の進化を示唆します。これはとても恐ろしく、本格的なサイファイ・ストーリーなのです。

以上のように、ロボットに関して、日本人は執拗に創作と変遷を繰り返してきました。そこには尽きない理想の追求があるのです。彼らの長い旅はまだ終わりません。そこには、人間を超えた存在への憧憬が、垣間見られます。
次の未来には、どんなロボットが現れるのでしょうか?


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 スピーチはこの原稿をはみ出して、日本の子どもたちの趣味や習慣に多くをさきました。しかしロボット・アニメ史の骨子は伝わったと思います。何より嬉しかったのは、小さな子どもたちが、目を輝かせて、日本の話を聞いてくれたことです。自国の文化を語ることは、自分を見つめ直すことにも繋がり、とても意義深いひとときだったと思っています。

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