2020年7月17日金曜日

ニューヨークの隠れ家

ウェストポイント鋳造所



 ニューヨーク州は夏になると各行楽地は人で一杯になります。今年は例外中の例外です。それでも行政指導による4月5月の強いロックダウン時期と比べると、観光客の人数は徐々に戻りつつあります。それでもやはりちょっと人混みは避けたい。そんな人のためにあまり観光客にも知られていない、静かな自然を満喫できる場所をご案内します。









今回は、ニューヨーク州、プトナム・カウンティはコールド・スプリング。その中の歴史的遺跡のある「ウェストポイント鋳造所跡」。
 ココはマンハッタンからハドソン川に沿って車で真北へ1時間10分ほどのところにあります。グランドセントラル駅からコールドスプリング駅へのコースもあります。駅からは徒歩十分程で行けます。時間があれば、史跡へ行く前に軽く市内の観光もできます。
 ウェストポイント陸軍士官学校はよく知られる観光スポットですが、鋳造所の方はあまり知られていません。(ちなみに2020年6月現在、ウェストポイント士官学校自体は観光目的で入場することはできません)




 ウェストポイント鋳造所跡は地理的にも全く違う場所にあります。ハドソン川を隔てたコールドスプリング内に位置しますので、勘違いする人も多いかと思います。昔は鋳造所で作った大砲などの兵器を船で川向うに輸送していたそうです。今は少し離れた橋で行き来できます。
 鋳造所跡のほうは緑豊かな沼沢地に沿って作られました。今はほとんどの施設が解体され、残っているレンガ造りのビルディングは歴史的遺跡として保存されています。

 この野外博物館とも言える敷地内では、アメリカ史で最も重要な工業遺跡の1つとして挙げられます。
 ここではかつてアメリカ初の蒸気機関車や、ニューヨーク市の水道管、南北戦争の勝利に貢献した大砲などを製造しました。




 廃業し手つかずになってから野草が生え放題の荒れ地でしたが、近年地元の協力により観光エリアの一つとして整備されました。歩きやすい小道が作られ、観光コースには鋳物工場の建物の跡や、産業革命や南北戦争への貢献、そしてこの土地の驚くべき生態系の再生についての物語があります。そう、鋳造工場によって一時は沼沢地の自然の一部が損なわれ、貴重な野生生物が消えかかっていたのです。しかし近年、平穏を取り戻した野生区域に鳥や魚、両生類などが戻ってきたのです。




 ここは歴史的遺構に加え、渓谷の過去や野生生物と触れ合いながら、都会の喧騒から逃れるには最高の場所です。30分ほどで全体を見て回れますが、終点地には小さな滝があります。小川のせせらぎを聞きながら、アメリカの昔を想像して見るものもいいですね。
 こちらは年中無休で、夜明けから日没まで無料で開放されています。




 なお鋳造所の詳細については、保護区から歩いてすぐのチェスナットストリート63番地にあるプトナム歴史博物館を訪れてみてください(注意:現在閉館中)。製鉄所に関する常設展示では、遺物、資料、美術品を展示しています。





 以下に参考資料を付記しておきます。New York Historic Arichives, American Foundry Records 


ウエストポイント鋳造所

ニューヨーク州コールドスプリングにあるアメリカの主要な鉄工・機械工場で、1818年から1911年頃まで操業。1812年の第二次世界大戦後に設立されたこの工場は、南北戦争中にライフル砲その他の軍需品の製造で有名になった。民間用のさまざまな鉄製品も製造していた。南北戦争後の製鉄の増加と鋳鉄の需要の減少により徐々に縮小、20世紀初頭に操業を停止した。



1812年の南北戦争後、マディソン大統領は兵器生産のために鋳物工場の設立を奨励。 ウェストポイント鋳造所もその一環としてつくられた。

West Point Foundry Associationは、ニューヨーク市の商人Gouverneur Kembleによって法人化され、1817年に鋳物工場が操業を開始。 砲兵は、ハドソン川を越えて荒涼とした山の斜面で射撃テストを行った。      

 

 ここで製造された鉄は初期の機関車、チャールストンのベスト・フレンド号を始め、ウェスト・ポイント号、デウィット・クリントン号、フェニックス号、エクスペリメント号など、多くの機関車が鋳造所で製造された。


 ウェストポイントの米陸軍士官学校を卒業したロバート・パーカー・パロット大尉が、米陸軍の鋳物工場の兵器検査官に任命された。翌年、彼は任務を辞し、1836年10月31日に鋳物工場の総監督に。鋳物工場は彼の長い在職期間の間に繁栄し、大砲や投射物の数々の実験の場となり、1860年にパロット・ライフル砲を発明して最高潮に達した。 1843年には、鋳物工場は米国で建造された最初の鉄船であるレベニュー・カッターUSSスペンサー号も製造した。



 当時の従業員は1,400人で、2,000発の大砲と300万発の砲弾を生産していた。 また、パロットは焼夷弾を発明し、チャールストンを砲撃するための8インチのパロット・ライフル砲に使用された。1862年6月、エイブラハム・リンカーン大統領がこの鋳造所を訪れて視察したことからも、この鋳造所の戦争への取り組みの重要性がうかがえる。




遺跡の考古学

 敷地内の建物のうち、中央のオフィスビルだけがそのまま残っており、残りは廃墟となっている。遺跡周辺の87エーカー(35ヘクタール)はシーニック・ハドソン財団が所有する保護区を形成している。。この遺跡の大規模な考古学調査は、シーニック・ハドソン財団が資金提供し、ミシガン工科大学が2002年から2008年にかけて実施した。



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